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2008年7月アーカイブ

モデルカーズ的こころ(39)

 夏の日射しが陰り始めて夜の帳が下りようとする黄昏れどき、開け放したクルマの窓からふと焚き火の匂いが流れ込んで来た。恐らくどこかで落ち葉でも燃やしているのだろう。昨今では焼却炉を使わずに安易に焚き火をすることは地球環境上好ましいことではないのだが、ボクの住まう此所いら辺りでは比較的良く見る光景である。それはともかく、何よりもその焦げ臭いような香りが妙に懐かしさを感じさせた。そして郷愁を覚えた刹那、切なさで胸が張り裂けんばかりになった。子供の頃の夏の夕暮れを思い出したのである。いや正確に言えばその頃の感覚が甦ったのである。ボクの夏休みは何時も独り、母方の田舎で過ごす日々であった。その田舎の周囲は農家ばかりで、庭の小屋に牛が繋がれている農家なども点在する、まさに絵に描いたような農村であった。夕刻になると妙に寂しさが募った。里心がついたのではなく、独りきりで過ごす夕刻の白い西日が哀しくて堪らなかったのだ。そんな薄暮の夕暮れどき、何時も焚き火の匂いがどこからか流れて来た。その感情の記憶が条件反射のように突然ボクの胸に拡がった。何もするでもなく、ただ漫然と預けられる際に買い与えられたプラモデルをいじりながら、長い長い夏休みの孤独を思って寂しさが募った。持たされたプラモデルはとうに作ってしまい、モーターも電池も入っている訳ではないから、ただ出来上がってしまった模型をもてあそぶくらいしかすることがなかった。イッコーの三菱500やミドリのスチールジャイアント(だったか…一寸記憶が曖昧だ)、ニチモのスターリン戦車にはそうした記憶が塗り込められている。時にはヤマダのフェザーのようにモーターも電池も奢られて、ただ独り、ひと気のない閑散とした見知らぬ小学校の防火用水地で遊んだ記憶も残されてはいるが、それは僅かな例外でしかない。夕暮れどきは寂しくて…という歌が昔あったように思うが、ボクにとっても夏の夕暮れとはまさにそんな感傷ばかりが残っている。そして、そんなシチュエーションと共に記憶されているプラモデルもまた哀しみにばかり彩られている。夕暮れと言えば新聞の映画欄が見たくて暗くなり始めた部屋の電気を灯そうとすると「未だ早い」と祖母によく怒られた。昔の人の節約振りは徹底していた。そうして育ったせいか今でも薄暗くなった部屋で、電灯もつけずにこうして仕事をしている。時には灯りを点すことも忘れて、モニターの照明だけで文字を紡いでいることさえある。帰宅した家内が「どーしたー、こんな真っ暗な中で」とスイッチを入れて、初めてもう夜なのだと気付く。いや、気付かぬ訳ではないのだが平気なだけなのである。多分、足元にぽろぽろ落っこちている我が家の猫どもは、人間より遥かに視力が優れるので、そんな暗さも意に介してはいないのだろう。いいねえ、お前たちは。そんな視力があったなら、ボクも「もちっと」ちゃんとプラモデルが作れるのだろうに、とひとりごちたりもしてみる。おらおらおら~また作らねー言い訳かあー?と妖怪沼の友人がツッ込みを入れそうだが、7月いっぴをもって目出度くも賢くも55歳となった我が身にとって、見えないというのは結構深刻で切実な問題なのである。世の昭和模型少年成れの果ての諸兄よ、つらいのお~…でもプラモデルから足を洗ったらいかんぜよ。それを無くしたら「ただの」おっさんぢゃけえ。あ、それはワシだけか…(続く)

モデルカーズ的こころ(38)

 「落日燃ゆ」たまさか何時もそんな時間にこの原稿を打ち込んでいる。ボクの仕事机は西に面しているので、既に夏を予感させる燃えるような落日をライブで眺めつつ、ちまちまと文字を紡いでみたりしている訳だ。山の稜線に陽が落ちた瞬間の、途端に冷たくなり始める気配がボクは好きだ。盛夏などにはこのちょっとした時間だけが「ほっ」と息をつける瞬間でもある。陽が落ちれば落ちたで真夏はこれでもかと湿度が上がるので、今時分だけが密やかさと爽やかさを堪能できる時期でもある。こんな良い「お日和り」に何をしているかと言えば、ボクは原稿を書いている。それが生業だから当然であるのだが、やはりついついバイクでどこかへ遊びに行きたくなってしまう。この前も書いたと思うが、モケイを作りたくなる、と書かないところが、ボクが決定的に職業を間違えたと今でも思う所以である。久しぶりに朝から好天なので田舎の旧家の節句鯉のぼりも如何ばかりかと思わせる満艦飾の洗濯物を済ませ、バイクで接骨院、内科と医療方面のはしごをする。そんな時は自らにも忍び寄る老人の影に怯えぬでもなし。ええーい、侭よ。どのみちあと一週間ほどで齢55ぢゃ。四捨五入すれば60ぢゃ。ろくじゅー!! びっくりくりくりくーりくり(どーも古くていかんだがやあ) そして棺桶に入ってしまわねいうちに書くこと書いとかねいと、と焦って原稿打ちに精を出す。ほんとは締め切りに追われて焦ってるだけなんだけどね…。そして落日燃ゆるちょうどそんな刻限、玄関に立つ人の気配。見ればオートバイのアフターケアを頼んでいる市内のバイクショップのご主人。エンジンがストールしてしまう家内のスクーター修理をお願いした筈が、代車を携え、手には新車のカタログが…。巧みな誘導で商談成立。その間、僅かに3~4分。キャブレター仕様の在庫ありますから~お安くしときますから~の誘い文句に釣られて、いとも容易く無い袖をぱたぱたと振る羽目に…。嗚呼、またしてもハーレーへの道は遠くなりにけり…って。どーせ本気で買う気もねーくせに。知人の某氏は最近、ロータス49を買ったというのに、我が身のしみったれたこの財政状況。あ、ロータス49ってF-1です。タミヤのでもイマイのでもユニオンのでもなく本物の「よんきゅー」!! しかもジム・クラークが'68年南アGPで乗ったR4!! 買っちゃいました、の第一報がメールで入って来た時は我が目と我がパソコンを疑ったね。まあ以前からミウラSVなんか持ってる御仁だから、本気で吃驚はしないけど…凄いね~。ここまで来ると妬ましいなんてケチな感情なんかわかない。ただ「貴男は凄い。貴男は偉いっ!」と称賛するばかり。バンダイ版のヤツにはフィギュア付いてんだよね~。でも高くて手が出ないよね~なんてほざいてる我が身が蟻よりちっちゃく思えてしまう。よーし、TVRタスカンだあ(またスカタンが始まった…)、でもその前に日本文化/N.B.Kの「ねこ」だなあ…いや、それより、いくら何でもCD250のオイル交換しねーと、ん~スクーター1台買っちゃうと、当分は外食なんて出来ねーな~。話が段々しみったれてちっちゃなっていく…。哀しいけれどこれが現実。まあいいや、もうすぐ海開きだし。かんけーねーか。(続く)

モデルカーズ的こころ(37)

 音もなく霧雨が降り続き、庭の紫陽花が色付き始めると、季節は最も鎌倉らしい時期を迎える。家の者が出かけてしまい、猫どもも寝静まる正午前、ボクの生活空間は無音の世界と化す。その余りの静寂さに心細くさえなる。「誰か居ますかーっっ」と叫んでしまいそうになり、思わず口を手で塞いだりもする。それは嘘である。ともかく余りに度を超した静寂は、時に精神の均衡を崩し訳もなく不安にさせることがある。そんな時はギターをかき鳴らして歌う。それはウチの小僧だ。縫いぐるみのサッカーボールをくわえて1階から2階へと駆けずり回る。それはウチの風ちゃんだ。CD250に打ち跨がってプチ家出をする。それが正しい。海岸線でも走ってくるかーっっ。スコ、スコ、スコ、スココ…キックアームが空しく空を切る。結局、うなだれて部屋へと戻る。すると窓の向こうにまた音も無く雨が…あ、ウチのゴン太(CD250の名前だ。もちろん嘘である)雨に濡れたくなかったのね…。ぢゃあ、気を取り直して原稿の続きでも書くか。そういう精神構造にないのはむろんのことである。だったらモケーでも作るか。もっとそういう気分にないことは明白である。えーい、猫のとなりで寝ちゃえー。そういう猫的スローライフが実践できないワタス…。で結局、やるせなすな心を抱えたまま、3分毎と3分の倍数毎にアホになりながら、悶々と仕事を続けるのであった。こんな生活は身体に良い訳がない。おら、こんな村いやだぁ~(古い! 古過ぎるっ!)、はあ、音しねえ、人居ねえ、とんびが何時でもく~るくる…だから誰もわっかんねーっつの。ぬぁーんて日々を過ごしていたら、久しぶりにアレルギーが出た。咳き込んでとまらない。夜になると富みに酷くまともに寝ることも叶わない。医者には「足元を猫が走り回ってる」と言ったら、そりゃ駄目だと笑われてしまった。原因は原稿らしい。嘘である。原因はモケーらしい。それも言い逃れである。正しくはハウスダストであるらしい。おーい、かっぱあーっっ、セーバーまだかあーっっ(ここを業務連絡に使うのはやめて下さいっ:担当B場) 毎日楽しくないのお。天気がこんなだと余計だのお。別に鬱ではないのだ。そうではないが、歳を取るごとに昂揚した気分は減ってゆく。身もあちこち痛くなったり動かなくなったり、心もすっきり爽快でなくなって、何だか何時もぼんやり、どんより、ぼよよんとしてくる。そんな自分の心身が鬱陶しくてならぬ。別に嫌だとか、ましてや死んでしまいたい、などとは微塵も思わない。繰り返して言うが別に鬱ではないのだ。だが煩わしい。それが歳を取るということなのかもしれぬ、と達観している。こんなことを取り留めもなく書いているが、ボクが常道を逸してしまうようなことはないだろう。だが、ちょっとだけ脇道へ逸れるようにして、精神の平静と均衡を失ってしまうと、先日の秋葉原の凶行のような事件が起きてしまうのかもしれない。その境界線はほんの些細な部分なのかもしれない。恐ろしいことである。だからボクもそんな風にならぬよう、原稿も書かずモケーも作らず…こらーっっ! 何の脈絡も説得力もない言い逃れをするんぢゃなーい、と天の声…。日々、安穏と過ごしているだけでもめっけもん。ね、静香ちゃーん(って誰?)(続く)

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プロフィール

平野克己(ひらの・かつみ)

MC誌の最前線を長うお准将に託し現在はフリーランスの予備役として活動中。湘南鎌倉で猫的スローライフを提唱しつつ、国産プラモデル史の編纂に尽力する日々を送る。永年飼ったコブラ427S/Cを手放しMC(Motorcycle…Modelcarsではありませぬ)復帰を密かに目論む。自称昭和プラモ小僧の60歳。座右の銘は心情溢るゝ軽薄さ。

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