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2008年9月アーカイブ

モデルカーズ的こころ(42)

 人生において初めて買ったレコードはザ・ベンチャーズの十番街の殺人であった。未だ赤い透明ドーナツ盤の時代だ。初めて行ったコンサートはグランド・ファンク・レイルロードの後楽園球場での公演だった。凄まじい雷雨でずぶ濡れになったことを覚えている。以後、熱狂的なザ・フーのファンとなったが、プラモデルの嗜好と同じく王道のブリティッシュロックからは外れたマイナーかつマニアックなものを意識的に好むようになり、ステッペンウルフだのザ・フォーカスだのロック後進国のB級バンドに傾倒していくようになった。親しい友人に愛用のドラムセットをプレゼントして、ボクのロック時代は終わりを告げたのだが、それもはや20年以上も昔のこととなってしまった。
 一時は完全なテレビ依存症となり、帰宅してまずするのがテレビをつけることだった時期もあった。観る訳ではない。ついていないと落ち着かなかった。そんな性癖も今は昔、最近はまたぞろラジオ(しかもFMではなくAMである。生活感に溢れたダサいDJ番組が好きなのだ)を聞いたりもしている。時にはCDをBGMに流すことも復活し始めた。10ccやドゥービー・ブラザースが流れていると気分が良い。ストーンズもやはり良い。現在のボクの年齢なりの感性にも違和感がない。だが、昔あれほど馬鹿にしていたCCRが、今になってみるとそれほど嫌いでもないことに気付き、我ながら意外に思ったりもする。更に最近ではサント&ジョニーのスリープウォーク、ボビー・ヴィントンのブルー・ムーンやブルー・ベルベットなどといった「午睡のあとのけだるさ」のように「たる~い」曲が妙に好きでたまらぬようになった。実際には違うのだが、これらの曲からは'50年代の切ない郷愁が響いてくる気がしてならないのだ。そして妙に心に安らぎをもたらしてくれる感じがしてならないのだ。
 モーターサイクルも8,000rpmも9,000rpmも回転を維持してクルーズするようなマシーンには乗りたくなくなった。なのでハーレーでドベドベ走りたいと思ってはいるのだが、如何せん「お高くて…」…かくも趣味趣向が変わっていくのはやはり年齢の為せる業なのかしら、それとも単に心身が疲弊しているだけなのかしら、などとつらつらと考えてみる今日この頃。ただ近頃思うのは「年齢を重ねるのはやはり楽しくはない」との思い。楽しいことの選択肢は確実に減っている。新たに身に備わる楽しいことはそれほどには多くない。湘南(住居は山の中だけれど…)に住まわっていなから、サーフィンもウインドサーフィンもジェットボートもマリンスポーツと名の付くものには一切縁がない。子供たちも育ってしまったので夏の海水浴にも行かなくなって15年以上が経つ。テレビのワイドショーで初老のコメンテーターが「ボクらの歳では海水浴にも行かないし」と発言しているのを聞き、「嗚呼、やはり世の中的にはそういうものなのだ」と妙に納得してしまったりもした。はたち過ぎから欠かしたことのなかった「鎌倉花火大会」見物も今年からは行くのをよしてしまった。往復の徒歩が辛くなってしまったのだ。急速に老齢化が進んでいるのかといえば、そうでもない。しかし、じわじわとあちこちが弱って来ていることは実感している。プラモデルが好きな気持ちは余り変わってはいないのだが、それも気持ちばかりで実際に手を動かそうとする気力は萎える一方だ。もう無理はすまい、等身大の自分で生きて行こうと密かに考え始めている。(続く)

モデルカーズ的こころ(41)

 もう暦の上ではとうに秋である。しかし相変わらずの蝉時雨で、私のところでは夜明け前のヒグラシの大合唱で目が醒めてしまう。しかし、常々思うことだがそこかしこにボロボロと落ちて終わる蝉の末路は余りにも哀れだ。命とは尊いものであると同時に惨く非情なものである。私のところでは毎年、迎え火を焚き送り火を灯す。そうした習慣は時代と共に廃れていくが、忘れてはならぬものもある。毎年暑い夏がやって来ると8月には6日、9日、そして15日と思いを致す。既に戦後生まれが人口の殆どを占めるようになってしまった日本だが、この特別な日を決して忘れてはなるまい。昨今ではまたぞろミサイル配備を巡ってアメリカ、ロシアの代理戦争の様相が起こり始めていて何ともキナ臭い。つくづく人類とは愚かな生き物であることよ。過去に学べぬ者に未来などはない。せめて日本人だけには語り継いでいって貰いたいものと切に願う。
 以前、観光で行った沖縄で思ったことがある。紺碧の海原、青く澄み切った空の下にどこまでも続くサトウキビ畑を眼前にして、かつて此所は艦砲渦巻く修羅場であったのかと思うと、胸を締め付けられるような罪悪感に苛まれた。此所で楯として犠牲になった人々の上に私たち本土の人間の今の平和がある。面白可笑しく生きてこられたのは沖縄で犠牲になった人々のおかげなのだ。ひめゆり学徒隊受難の地である第三外科壕跡と目と鼻の先にバスを停めながら、海葡萄定食を食べさせることのほうに躍起になっているツアー会社に割り切れぬものも感じた。こうして何もかもが風化していってしまうのだろうか。
 プラモデルをこよなく愛する私たちも8月に限ることなく、常々人類の負の歴史に思いを致したい。誤解を恐れず言ってしまえば確かに兵器というメカは魅力的だ。簡単に言ってしまえば「カッコいい」 だが、さも知ったふうにスペックやヒストリーをひらけかして悦に入っているような業界人には腹が立つ。プラモデルとは私たちが考えている以上に、ものの性質上からもデリケートでナーバスな扱い方や対応が必要なのではないのか。そんなこと考え始めたらプラモデルなんか楽しくなくなっちゃうじゃん、そう仰る向きもあるだろう。だが、私たちは日本人なのだ。自らの土地を蹂躙されたこともなく、歴史認識を深く考えぬ向きも多く、未だに「原爆が戦争を早く終わらせ犠牲を減らしたのだ」などと公言して憚らぬ国家とは決定的に違う。そんな人たちに戦争を世界を任せてしまってはならない。既に亡くなった私の父は南方戦線で何度も潜水艦に沈められた。母は度重なるグラマンの機銃掃射からからくも生き延びた。だが私は戦後生まれであり、実のところその実態を何も知らない。知らないからこそ真摯に向き合い、常に対話していかなければならないのだと感じている。日本は未だに戦後処理が終わっていない。保証云々の話ではなく私たち自身の総括が何もなされていない。無かったことにして蓋を閉じたような状態で60年以上が経ってしまった。そうした思考に思いを致さずにメカ好きを自認して良いものなのか。日本のプラモデル人にはそこまでの覚悟と認識を持って貰えたらと思う。それが良識あるプラモデル愛好家なのではないかと私は思う。(続く)

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プロフィール

平野克己(ひらの・かつみ)

MC誌の最前線を長うお准将に託し現在はフリーランスの予備役として活動中。湘南鎌倉で猫的スローライフを提唱しつつ、国産プラモデル史の編纂に尽力する日々を送る。永年飼ったコブラ427S/Cを手放しMC(Motorcycle…Modelcarsではありませぬ)復帰を密かに目論む。自称昭和プラモ小僧の60歳。座右の銘は心情溢るゝ軽薄さ。

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