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2008年11月アーカイブ

モデルカーズ的こころ(50)

 国鉄/JR以外でボクにとって最も馴染みのある鉄道路線は、営団地下鉄銀座線/現東京メトロ銀座線である。黄色い車体、特徴的構造ゆえ致し方ない金属を擦る摩擦音、一瞬車内の灯りが落ち明滅する非常灯、エアコンのない暑い車内、大声で会話せねばならぬ車内騒音、その何もかもが慣れ親しんだものであり、今もあの頃の銀座線が懐かしい。松屋浅草店や上野松坂屋、あるいは銀座線神田駅構内などをたまにぶらつくのも好きだ。あの鉄骨剥き出しの低い天井は、現代の我々にとっては圧迫感のある事この上ないが、また同時に昭和初期の香りを現代に伝えている。かつて日本人はこれほどに小さかったのだ、と実感させてくれる。最近はエコの観点からもクルマを始めあらゆるものがミニマム化しつつあるが、全体が小ぶりだった当時の日本は、さぞや広く伸び伸びとしていたであろう、などと想像もしてみる。
 銀座線で浅草まで行く。浅草寺に詣ったのち、凌雲閣、浅草十二階があったのはこの辺りかしら、などとぼんやり思いつつ、呑み屋横町や六区界隈などをそぞろ歩く。そして浅草の老舗と呼ばれる食事処にぶらりと彷徨い込むのだ。ボクの好きなのは今では「お上りさん」(この言葉自体がもはや死語だろう)さえも寄り付かぬようなミーハーな旧店である。例えば釜めし春、天婦羅三定、すき焼今半などだ。敢えてそうした江戸の名残、昭和の香りを楽しむ。ただ断酒して久しいので神谷バーの電気ブランは飲んだ事がない。あとは仲見世を揚げ饅頭を頬張りながら冷やかして歩く。土産は舟和の芋羊羹か木村屋本舗の人形焼と決まっている。かつての浅草を代表するような大店は、ボクにとって郷愁をかき立てるような存在であり、そこに座って食事するだけで何か心に響くものがある。ラジオ世代なら良くご存知であろうが、こうした浅草の名店はかつて繰り返しラジオCMを流していたので、ラジオにかじり付いていた青春時代の甘く切ない記憶の中に刻み込まれている。「浅草うまいもの会、天婦羅の三定です」などの語り調子は、意味も無く急いていた若さにまったり、はんなりした気分をもたらしてくれたりしたものである。そんな夕暮れ時の浅草を歩いていると、いつか死んだ父や友人とふとすれ違ったりするのではないか、などの妄想にとらわれたりもする(分かる人だけ分かって下さい…) (続く)

モデルカーズ的こころ(49)

 業界オフィシャルブックたる「日本プラモデル50年史」の編纂にたずさわった為に、模型誌以外の一般雑誌やテレビ番組などで「特集したく」その為の写真を貸して欲しいという問い合わせが多数寄せられている。まあ、50年史を出版した事が切っ掛けとなって、模型界以外でもプラモデルとその歴史に目を向けてくれるなら、苦労して執筆した甲斐もあろうというものである。ただ日本人の特性(?)ゆえか、今いっときは熱く盛り上がるが、醒めるのもまた瞬時の事である。醒めたあとの冷え込みを思うと心までもが寒くなるようだ。
 先日、たまさかマルサンの現社長を訪ね、長時間にわたる対談の機会を得た。「えっ? マルサンって未だあったんだ?」と思う向きも多いかもしれぬが、マルサンは現在も墨田区東駒形に健在である。現在は懐かしの「東京カイジュー」ソフビ人形復刻版のネット販売、更に最近では1/18鉄馬プロジェクト、ガイア・ミュージアムなどの独自の商品化も勢力的にこなしている。ただ昔少年たちのマルサン・ファンにとって残念なのは、もはや将来的にもプラモデルを手掛ける可能性がほぼ無い事である。マルサン六代目社長である現社長、神永氏のベクトルはもはやプラモデルには向いておらず、ある意味においては見限っている。これだけプラモデルが下火となり売れなくなって久しい現状では、それもまた当然の帰結であろうかと思われる。しかし、そこには「日本製プラモデル」の始祖たるマルサンの過去の栄光にしがみつく事なく、独自の未来を切り拓かんとする神永氏の決意が見て取れる。
 ところでマルサン社屋訪問の為、ボクは初めて歩いて隅田川を渡った。これまで幾度となく隅田川は渡ったが、クルマでしか通った事がなかったのだ。麗らかな日差しに誘われて、浅草からのんびりと駒形橋を歩いた。左手に金のウ○コ(そうでないって!!)をいただく某ビール会社社屋を望み、水面に波を蹴立てて進む水上バスを眺め、頭上を舞うゆりかもめに風の音を聞く。嗚呼、何と平穏で優しい光景なのか…って、こんな所で紙ぶくろ枕に地べたで寝てんぢゃねーよ、おやぢっ!!…子供の頃は傷痍軍人、そして今はホームレス…しかし、あながち他人事とも思えぬ。この絶不況のご時世ではいつ自分もそうなるか分からぬのだ…。嗚呼、水面を渡る風が心なしか冷たくなったような気が…。そして暗くなった帰り道、橋の上で寝ていたおやぢたちは地下鉄の階段に移動したむろしていたのだった。地上に出たらいきなり昭和39年の中野だったりしなきゃいいけど(分かる人だけ分かって下さい)(続く)

モデルカーズ的こころ(48)

 景気にも流行にも「波」というものがあって、それが一定周期で繰り返されて巡るのが世の慣しのようである。プラモデルの世界にそれを当てはめてみれば、'60年代は飛行機の時代、'70年代は戦車の時代、そして'90年代は自動車の時代であった。そして、ここのところに来て艦船がやにわに注目され始めている。最近では低迷を続けていた1/700ウォーターラインシリーズに代って、今や1/350が俄然元気を取り戻しているようだ。スケールが大きいだけに精密再現の度合いを深めた競い合いが続き、アフターマーケットパーツの充実がそれに更に拍車をかけている。聞けばその市場を支えているのは「カムバック組」も含めて、中高年齢層のおとーさんたちらしいのだが、おなじ年代のボクからすると、こんなに細かいものは面倒で作れないと感じてしまう。第一、余りに小さく細密に過ぎて見えない。日々、老眼の度を強めているボクたち中高年代層にとって、焦点を結ばない細かいものは致命傷にも等しく問題外である。まさしくアウト・オブ・フォーカスなのである。更には細かい上に「いや増す」パーツ点数は、年々減衰する集中力ではとても抗しきれない。箱の中にぎっちり詰め込まれたパーツを見ただけで、既にげんなりしてしまう。
 だが、キットの大型化、緻密化は傾向としては悪くない。塗装済み完成品がもてはやされてきた昨今では、クラフトする喜びが忘れ去られてしまっていたので、精密プラモデルの再来は「クラフトするホビー」の復権をも意味する喜ばしい傾向であるのだと思う。ただボクは機械ものは機能している状態が最も美しいと信じている。艦船の場合ではウォーターラインがそれに最も近い状態を再現していると言えるのだろうが、どうも必要なところだけしか作っていない映画の大道具セットのようで余り好きではない。かといってフルハルモデルは台座の上に鎮座してしまっていて、機能を失ってしまったドッグの中のような、はたまた保存される記念艦のようでどこかつまらぬ。やはり船は洋上にあるものだ。なので水の上に浮かべてしまうところへと帰結してしまう訳だ。風呂桶に入浴剤を入れて海の色にしたところで浮かべる…ううん、やはりこれだ。'60年代小僧は生涯そのままであるようだ。
 飛行機も'70年代の「徹底作り込み再現」重視の時代には常々疑問を感じていた。コクピット、脚収納部の内部まで再現しなければ評価されないようなところが好きではなかった。やはり飛行機は脚を引っ込めて飛ぶ姿こそが美しい。だが艦船と一緒で、実物と同じシチュエーションに置く事はかなわない。そこでスタンドディスプレイと相成る訳だが、リアリズム至上主義の時代、スタンド(かつて飛行スタンドと呼んだ)は忌み嫌われた。だがボクはこれしか無いだろうと思っている。それが嫌ならずっと昔のように天井から糸で吊るすのみだ。プロペラもモーターで回転するのが好きだが、回転数が遅いので円盤に見えてしまうのが模型の限界で残念なところ。実写のように見えたなら、それは今も見果てぬ夢のひとつである。(続く)

プロフィール

平野克己(ひらの・かつみ)

MC誌の最前線を長うお准将に託し現在はフリーランスの予備役として活動中。湘南鎌倉で猫的スローライフを提唱しつつ、国産プラモデル史の編纂に尽力する日々を送る。永年飼ったコブラ427S/Cを手放しMC(Motorcycle…Modelcarsではありませぬ)復帰を密かに目論む。自称昭和プラモ小僧の60歳。座右の銘は心情溢るゝ軽薄さ。

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