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2009年02月12日

モデルカーズ的こころ(59)

 今だから話そう…ボクがライターとして原稿を書き、稿料をいただいた最初は航空情報(酣燈社)であった。トミー1/32 P-51Dマスタングの新製品製作ガイドであったと記憶する。その後、モデルアートで新製品紹介記事や連載記事を書かせていただくようになり、ボクの物書き人生は本格的な幕を開けたのだが、その時点ではこれが生涯の生業となるなどとは夢想だにしていなかった。ちなみにボクの生涯初の著作本はこの頃に書いた「クルマプラモデル学入門」(交通タイムス社刊)であった。その後、既に記したように企画室ネコで働くようになり、ボクは何でもやった。それは言わば見習い修行のようなもので、S社長にしてみれば「コイツは何が出来るのか」を探っていたのであろう。営業、広告、編集など命じられるままに精を出した。勿論、当時は記事の全てが内製であったから、取材、撮影、イラスト、そして原稿製作も全て携わった。今では信じられない事だが、いきなり取材現場でハッセルブラッドを持たされ、ジャガーEタイプを撮らされた。良く言えば現場主義、悪く言えばぶっつけ本番である(笑)
 当時のボクは人生最初の大きな挫折を味わった直後であった。話せば長くなってしまうのでここでは触れないが、毎日アルマイトの灰皿が飛んで来るスパルタ演劇修行から脱落したのである。新宿三丁目の路上で号泣しながら土下座したのも一度や二度ではないので、ちょっとやそっとの事ではめげなかったが、極度の人間不信に陥ってしまい、演劇界から遠のいたばかりであった。そんなボクにとって自信と快活さに溢れていたS社長には親のような兄のような親近感があった。S社長も当時はスタッフが僅かな人員しか居なかったせいか、それとも無謀とも思われる戦いに挑む戦友と捕らえていたせいか、ボクたちスタッフには社員として以上に目をかけてくれた。
 ボクたちはめいめいが自分のクルマで出社していた。当然路駐も多かった訳だ。ある日、ボクは駐禁をとられ玉川警察へ出頭した。ボクがいかにも頼りなく思えたのか、それとも責任者として使命感を感じたのか、S社長が同行してくれた。だが次第に激昂したS社長は30分以上も警官を向こうに回して怒鳴り続けた。驚き半分、感動半分であった。ボクの人生でこれほどまでに親身になり本気になってくれた人は初めてだった。その時、ボクはこの人の為に生涯尽くそう、そして決してこの人を裏切るまい、と心に誓った。三文人情劇場のようだが、基本ボクはそうした単純な男である。また同時に決してこの人を敵に回してはならない、とも思った。あれからもはや30年以上もの年月が過ぎた。仕事の上では色々な紆余曲折があったが、今でもボクのS社長に対する個人的な思いはあの時と何も変わってはいない。(続く)

投稿者 平野克巳 : 2009年02月12日 16:51

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