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2009年3月アーカイブ

モデルカーズ的こころ(65)

 今だから話そう…。以前、当該ブログで触れた事があるのだが、深夜にボクひとりがモデル・カーズ誌面販売のレジン製1/24シャパラル2Dの発送梱包作業を行っていた時の話だ。それは深夜をとうに回った頃だったと記憶する。納入されたレジンやホワイトメタルのパーツをひとつずつパッケージ梱包していた。それをたまさかやって来て可笑しそうに笑ったのが、先日他界してしまったデザイナーのSであった。「それ売ると平野さんは幾ら儲かるの?」と聞くので「一銭も入らないよ」と答えた。その途端Sの顔からからかいの笑みが消えた。そしてSは何も言わずに地味な作業に加わってくれたのだ。ボクはその時のSの事を今でも忘れない。Sとはそんな男であった…そんな事をつらつらと想いながら、海岸線の134号をバイクで走った。切る風は温み痛くはなくなったが、未だ心の中の痛みは消えない…。葉山から逗子、そして鎌倉へと海沿いを走る。ようやく春めいて来たと言うのに、ボクの気持ちまでもは軽やかにはしてくれない。道ばたにFRPの切れ端が落ちている。バンパーだろうと見当をつけた。事故があったのだろう。本当は慣れてしまってはいけない事だけれど日常的な光景だ。ちらと見ただけで通り過ぎた。その先のカーブを曲がった。今度は道の中央に生き物の死骸が転がっていた。正確に言うなら転がっていたと言うよりは潰されていた。毛足からして犬でも猫でもない。ああ、狸が轢かれたのだな。これもまた、こちらのほうでは割りと日常的な光景である。ちらと視線を移しただけで、注意を前方に戻した。狸…た、たぬきぃ??…こんな海際でかいっ!!…狸って… 確かにこの辺りは山が未だ残っているので、タヌキや野ウサギやハクビシンが生き残っている。だが、道路に迷い出たりしたところを目撃する機会は、最近ではめっきり減っている。やはり開発の波はひたひたと押し寄せているのである。それよりも何よりもこんな海岸ぷちでタヌキとは、一体どこから迷い出て来たものなのか。それも不思議だったが、そんな無惨な骸を見る度にボクは思う。こうして生きている事は決して当たり前な事ではないのだと。生きているとはそれ自体が奇跡である。奇跡が無くなると鬼籍になる…巧いっ!!…って、林家一門かっ!! 無事に生きているとは凄い事である。亡くなってしまった幾多の友人たちを想う度に、ボクは何故生きているのだろうかと自問自答してしまう。そして明日もまた何事もなく生きていられるのだろうかと思案してしまう。そんな事を一切考えず、日々、黙々と目の前の現実に立ち向かい、真剣に生きる、それもまた結構。だが、ボクは生と死を見つめながら、やるべき時にやるべき事を実行するように心掛けている。明日でいいや、来週でいいや、いつかやりゃいいや、なるたけそうした考えを持たないように戒めている。だが、それは中々出来ない。(続く)

モデルカーズ的こころ(64)

 今だから話そう…ボクはクルマでもバイクでも最も重要視するのが「オト」である。つまりエグゾーストノートであり、詰まるところボクは「音フェチ」なのである。フォードのレーシングスペックエンジンがフェラーリのような金属音なのに対して、同じアメリカンV8ながらシボレーは随分と異なる。ボクはコルベットGSも何台も見たが、このワークス仕様のエンジンをもってしてもフォードの音質とは根本的に異なるものだった。喩えて言うならシボレーはコルベットGSでさえも「ベチベチベチ」というウェットな歯切れの悪いサウンドだった。コーナーを派手にカウンター当てて立ち上がって来るさまはかっこいいんだけどねえ…。カンナム・マシーンのマクラーレンM8シリーズも似た音質であったから、恐らくシボレー系エンジンはみんなそんな感じなのだろう。当然シャパラルも同類なのだが、オートマチックのせいかコーナーを音も無くニュッと飛び出して来る光景が実に不思議であったことを記憶している。
 若い時分、ヤマハXS650に乗っていたせいで、ボクは今でも英国系のバーチカルツインのサウンドが大好きである。最近のモデルは別物になってしまったが、’60〜’70年代のトラボンなどは今でもその音にシビれる。音と言えばカワサキのダブワンが専売特許みたいなものであるが、あのベリベリベリという雷鳴よりは、ヤマハの一寸洗練されたドベドベドベが好きである。2ストロークエンジンもカワサキ、スズキ、ヤマハはみな異なっていた。ボクはやはり一寸ばかり「こもった」感じのヤマハのツインが好きだ。DT250にも乗っていたことがあるので、あの焼き玉エンジンのような「パンパン」と弾ける音も好きだが、近所のバイクショップ「赤男爵」でフルレストア済みのDT1 が店頭に置かれたときは、密かにググッと来た…。だが、しかーし…98万だから…。それならオイラ、ハーレー買うって。何れにしてもボクは今でもクルマもバイクも「音」を好き嫌いの判断基準にしていることは間違いない。アルと思います。でも、クルマに関してはもはやそんな感覚は昭和どころか、20世紀の過去の遺物に過ぎない。電気や水素で走るクルマにエグゾーストノートなんぞは無縁である。バイクにしても騒音規制が優先される時代なのだ。もう音などに拘る時代ではない。ボクにとってはそれが少しばかり寂しくもある。(続く)

モデルカーズ的こころ(63)

 友人が死んだ。友人というよりは戦友をまた失った。ネコ時代からの同僚のデザイナーSが病いに屈したのだ。未だ50を過ぎたばかりだった。明るく屈託のない気持ちの良い男であった。ボクがフリーになって暫くのち、彼もネコを辞め青山でデザイン事務所を開設した。結構仕事は手一杯だった筈なのに、ボクが本のデザインを依頼しに行くと「平野さんに頼まれたら断われないから」と笑って、いつも破格値で引き受けてくれた。こちらの要望の大抵は無視して独自のデザインに仕上げてきた。そして、それがいつも切れ味よくセンスの良いものであったから、文句を言うどころか、今度はどんな風に期待を裏切ってくれるのかが毎回楽しみであった。そんなSの臨終に立ち会って、暫し公園で風に吹かれて涙の乾くのを待った。昔の同僚のNにだけ「たった今亡くなった」と電話した。その足で帰路につく気にもなれず、コーヒーショップでひとり煙草に火を着けた。周囲に目をやればカップルと家族連ればかりだった。日曜の午後だ。この時ばかりは押し潰されそうな孤独感に全身が戦慄いた。今、独りで居る自分に耐えられなかった。普段は孤独など何でもないと思っているボクだが、古くからの友人を失った時の喪失感だけは底なしの哀しみが襲う。思えばモデル・カーズを共に戦った戦友たちを既に幾人も失った。ボクは一体どれだけの戦友たちを見送ってやれば良いのだろう。もう沢山だ。本当に沢山だ。もうこれ以上、誰も居なくならないでくれ。河童! あと200年は生きろよ。シゲ! 俺の葬儀委員長はオマエだっ。ネコミタ! オマエの葬式なんか絶対出てやらんからな。あひる! 死んだりしたら殺してやるからな。ながうお! 旧き佳き時代のモデル・カーズの語り部が居なくなったらいかんぜよ。む! しかけの仕事を残して逝ったら許さんぞ。山ちゃん! MA時代を思い出にしちまわんでくれよ。亀さま! だれ話が出来なくなっちまうのは嫌だぜ。ちい! あにぃが先に逝くのが順序ってもんだぜ。それからそれから…ええーい。いちいち名を挙げるのもめんどくせえ。どいつもこいつも元気で生きてろよーっっ。(註:列記した順序は単に思い付いたままである。別に順列などはないので念の為。それよりオフィシャルブログに私信を入れるなーっっ!!) この世に永遠不滅などない。人は何時か死ぬ。物は何時か壊れる。生あるものに誰にも平等に死は訪れる。それが自然の摂理である。だが、頃合いというものがある。潮時というものもある。やはり早過ぎるのはいけない。それぞれの人生を全うしてくれ。それなら互いにちっとは諦めもつくというものだ。人生は風の如し。どこからやって来てどこへと去って行くのか。「50過ぎたら生きてるだけでめっけもん」亀さまの名言である。生きてるだけではしょーもないが、生きていることに感謝して、生きていることを大切にしなくてはなるまいて…。頑張れ、オレたち。 (続く)

プロフィール

平野克己(ひらの・かつみ)

MC誌の最前線を長うお准将に託し現在はフリーランスの予備役として活動中。湘南鎌倉で猫的スローライフを提唱しつつ、国産プラモデル史の編纂に尽力する日々を送る。永年飼ったコブラ427S/Cを手放しMC(Motorcycle…Modelcarsではありませぬ)復帰を密かに目論む。自称昭和プラモ小僧の60歳。座右の銘は心情溢るゝ軽薄さ。

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