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2009年4月アーカイブ

モデルカーズ的こころ(69)

 余りにも仕事がない。仕事がないので暇ばかりを持て余している。そこで有志数人と花見と洒落込んだ。もはや「やけくそ」の春爛漫である。花見と言っても本当に花を愛でるのであって、別にブルーシートを敷いて酒盛りなどをする訳ではない。ご近所近隣から地元の花見の名所などを巡るうち、行ったことがないので横須賀の走水水源地の桜見物へと足を延ばそうという話になった。走水と言えばもはや観音崎に近い。お日柄も良くちょっとした小ドライブと相成った。さすれば腹も減る。誰言うでもなく食事をしようという展開になるのは自然の流れ。しかし、めっきり懐具合が寂しくなってしまった面子ばかりである。豪遊はできない。誰ともなくガストのチーズインハンバーグはバリューフォーマネーで旨いよな、と言い出し、多数決でもその案が圧倒的支持を得た。まあ、そこまでは良かったのだ。だが、走水水源地まで行くに至って、此処まで来たら三崎港が目の前ぢゃん、と言い出す輩あり。折角なんだからここはもう明日の事なぞ心配せずにマグロ丼を喰ったろうや、と半ばやけくその二乗へと突き進んでしまった。さすれば大衆ヒステリー心理でナチスに妄信したドイツ国民もかくやの態。マグロマグロの合掌のうち、磯の香と潮騒の三崎港へと突撃を敢行した。ところが…ところが、である!! 贔屓の店が何と定休日…定休日変わってるやん…一気に意気消沈するマグロ党シンパたち。しゃーない、諦めよーや、と言う者あり。いやや〜、ここまで来たんやもん、マグロ喰って帰ろうな〜、と言う者もあり。踏ん切りの悪い我ら似非マグラーは、結局営業中の他の店でお茶ならぬマグロを濁すことにした。そして食べ終わって誰もが思った。いつもの満足感、幸福感がない…。幸を求めて彷徨う我ら。せめてガストでデザートとお茶でもして自分を納得させようや、と甚だ思い切りが悪い。そしてガストへ。やっぱチーズインハンバーグ食べんと気が納まらん、と、結局皆でガッツリ食事。その上、デザートまで追加する、もはや狂乱の態。ようやく冷静に戻った我ら、「べふ」などとげっぷを吐きつつ我が身を見下ろせば、そこにはゴマフアザラシのごときパンパンな胴。そして、それとは対照的に煎餅布団のようにペシャンコになった懐の財布。ようやく後悔しきりの阿呆の集団。ごめんねごめんねえ〜。良く言えば初志を貫く意志強固な我ら、悪く言えば臨機応変に事に対処出来ぬ不器用な我ら。そんな我らなればこそ、この鍋底不況の時代に身替わり巧みに生き抜く術も持たず、ただあわあわ言いながら底辺を這いずるのみ。それでも我らは愚直なまでに己の信ずる道を行く。そして、その精神は古典キット倶楽部、鉄の馬歴史館に確実に反映されていくのである。あると思います。ねーか…(続く)

モデルカーズ的こころ(68)

 先日、S誌の対談に呼ばれて都内某所のスタジオへ出向いた。新宿西早稲田周辺は坂ばかりで早春にも係わらず、到着する頃には汗びっしょりとなってしまった。うーむ、学習院のお嬢様たちは足腰だけは丈夫なのだな、などと詰まらぬことをつらつらと考えながらスタジオ入り。主たるテーマはプラモデルの現状と今後みたいなものであるが、足腰がすっかり萎えてしまった昨今のモデラーに対して、模型専門誌は相変わらず高度で硬派なレベルを要求し過ぎるのではないか、などと批判的な意見を吐いたので、またもや業界的には嫌われたに違いない。
 その後は業界のお約束として編集部と出席者の親睦を兼ねた飲み会という名の意見交換会と相成った訳だが、業界人が酒の勢いを借りて本音を吐露する場にあっても、何ひとつボジティブな意見が出ることもなく、結局プラモデルの未来に明るい展望は感じられなかった。更には食玩の時代さえも終わりましたねえ、の声も聞こえ、一体ミニチュア・スケールモデルはどこへ行くのか、と暗澹たる気分に陥り、飲むほどにテンションの下がる思いでもあった。そもそもプラモデルに固執しているボクたち自体が既に時代錯誤なマイノリティーなのかもしれぬが、だからと言ってそれに取って代わる次世代玩具があるとも思えない。目先で判断するならそれは「ゲームでしょう」とも言えるかもしれないのだが、そう信じるに足る何かが足りない。釈然としない。
 自動車にしても内燃機関の時代が終わり、かつてのスピードを神のように崇めた時代など忘れ去られようとしている。地球に優しいだけでなく、速度や馬力などの根源的価値観が別次元のものへと転化しつつある。これからの自動車に一体何が求められるようになるのかは未だ明確ではないが、もしかすると自動車という概念そのものが無くなってしまう可能性さえありそうだ。要は自分が思った時に思った所へと移動できれば良い訳で、その為の道具が何も地べたを這いずる箱である必要はないだろう。ボクたちが昔、マンガなどで見た「腕時計のような機械のボタンをセットするとビビビッ!!と伝送される」そんな時代さえ絵空事ではないのかもしれない。そんな時代になったら子供たちは何をして遊ぶのだろう。どんな玩具があるのだろう。いや、玩具などという概念が残っているのだろうか。昭和という時代に生き、思い切りアナログ、アナクロに浸っているボクたちには、想像も及ばない未知なる世界である。そんなボクたちがどれだけ膝突き合わせても未来を語ることは出来そうにもない。だからより一層興味も関心も過去へと向かってしまうのかもしれぬ。昭和ノスタルジーは味わいがある、などと若い人たちは言うけれど、ボクたちにとっては最も安心出来る理解出来る世界なのである。何か前向きじゃねーなー、建設的でねーなー、などとも思えども、「好きなんだからしょーがねーぢゃん!!」と開き直る今日この頃ではある。(続く)

モデルカーズ的こころ(67)

 今年も桜と共に55歳の春を無事に迎えることができた。ボクは満開の桜の花を見るのが何よりも好きだ。散ってしまった直後から、既に翌年の桜の季節が待ち遠しくてたまらない。それはある意味、ボクにとっての年中行事のようなものだ。しかし、確実にひとつずつ歳を重ねていくことの寂しさ、儚さがそれには常に伴っている。来年の桜は無事見られるだろうか、あと何回桜の季節を過ごせるだろうか、そんな思いも心の隅に巣食っている。振り返ればボクは一体どれだけの桜の季節を過ごしてきたのだろう。少年時代は桜並木の下に住んでいただけに、否応無しに毎年の春を桜と共に生きてきた訳だ。今でも庭で桜が咲くのが見たい、それがボクの願望のひとつでもある。何年か前に桜の苗木を買ってきて庭の片隅に植えたのだけれど、どうやら上手くは育たなかったらしく、今ではただの棒っくいになってしまった。ボクが死ぬまでに庭に立派な桜が咲き誇るのをずっと夢見続けているのだが、それはどうやら叶わぬ夢のようである。今でも「桜はいいやね〜」などと一人ごちては女房に気味悪がられている。
 倅も娘も結婚して家を離れたが、倅の部屋は次男と共用だった為、今では次男が我が世の春を満喫している。娘の部屋は「いつでも帰って来られるようにそのままにしておいてやる」などという親心など更々なく、今や梱包用の段ボール箱の山で埋め尽くされてしまった。なので我が家には既に娘の少女時代の面影など微塵もない。そんな感傷よりも日増しに娘の部屋へと増殖しつつあるプラモデルの細胞分裂を何とか食い止めねばならぬというほうが切実である。ただ、最近では買うといっても仕事か資料に必要なものしか買っていない。そして、どんどん惜しげもなく完成品にしている。なので当初の目論みでは次第に減っていく筈であったのだが、完成させてしまえば撮影から帰ってくるや梱包して仕舞うこととなって、むしろガサが嵩んでしまうようだ。今では「プラモはいいやね〜」などとほざいては女房を辟易させている。
 もはや「どうしても欲しいプラモ」というのも数えるほどしかなくなってしまったが(まだあるのかいっ!!…)、研究上では入手したいものとして尾高1/20ふそう4tトラック最初期版がある。実はこのキット、かなり奥が深い。個人的郷愁としては日模のマジックロケット、ダグラスDC-8、今井の水車小屋の、いずれも最初期版の箱だけが欲しい…「箱だけってあーた…」…タミヤ1/24ロータス30(スロットカー)はもはや諦めた。なにせ高価になり過ぎた。そう言えばコクピットを切り抜いてしまった当時買ったロータス30はどこへしまい無くしたのだろう…。早春の冷たい雨の日々にはそんなとりとめもないことをつらつらと考えている。(続く)

プロフィール

平野克己(ひらの・かつみ)

MC誌の最前線を長うお准将に託し現在はフリーランスの予備役として活動中。湘南鎌倉で猫的スローライフを提唱しつつ、国産プラモデル史の編纂に尽力する日々を送る。永年飼ったコブラ427S/Cを手放しMC(Motorcycle…Modelcarsではありませぬ)復帰を密かに目論む。自称昭和プラモ小僧の60歳。座右の銘は心情溢るゝ軽薄さ。

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