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2011年4月アーカイブ

昭和のプラモ歳時記「プラモ小僧走る―回想―」其の12

 プラモデルと出逢う以前からボクは文房具屋や駄菓子屋の常連だった。当時の子供は皆そうである。ボクの家は「福屋」という屋号の菓子屋を営んでおり、どぶ川を前にした桜並木の商店街の一画にあった。父は戦時中は海軍の軍属で羽振りが良かったらしいが終戦によって失職し、ようやく東宝の美術部の職を得た。しかし1948年/昭和23年の東宝争議により再び職を失った。平野製作所(起業家なのでも洒落なのでもなく、ヒラノポップなどの二輪車メーカー)などを転々としたのち、民放テレビ放送開始の時流に乗ってKRT/ラジオ東京(現TBS/東京放送)に就職、以後、典型的な戦後サラリーマン族を形成するひとりとなった。'50年代は未だサラリーマンが安定した職種と思われなかったので、福屋はあくまでもサイドビジネスとして母が切り盛りしていた訳である。脱線ついでに福屋についても触れておこう。当時、菓子はキャラメルやチューインガムが花形で、キャラメルは6粒10円、ガムは4枚10円だった。グリコは10円で、大きなオマケの付いた大箱は50円。チョコレートは贅沢品で、ボクたちが日常的にチョコと呼んだのは鉛のチューブに入ったソフトチョコである。動物ビスケットや五家宝、餡きりなどの菓子の大半は量り売りで、ステンレスのスコップですくって秤で計量しグラム売りする。これは一斗缶で仕入れるのだが、御徒町の二木の菓子(今では二木ゴルフのほうが有名だろう)まで直接仕入れに行ったり、地域の問屋が配達納品したりした。
 菓子パンも菓子屋の重要な品目で、福屋では第一パンを取り扱っていた。小倉餡、白餡、うぐいす餡、ジャム、クリーム、チョコなどの菓子パンは1個15円、三角の甘食が2個組10円であった。これは第一パンの2tパネルトラックが毎日、明け方に配達してくる。菓子パンの入った木製パレットを店先に無造作に置いてゆくのだが、盗まれたり悪戯されたりすることもなかった。何とも長閑で良い時代である。現在なら薬物を混入される危険性や不衛生を厳しく指摘されて、とてもこんな扱いはできない。なにしろ現在のように袋に入れられてさえいない。裸のまま店先に放置していくのである。それをガラスケースの中に並べて売る。たいがいは午前中に売り切れてしまう。勿論その後の補充はない。売り切れたらまた明日、である。現在のようにコンビニの納品トラックが24時間走り回っている、などという世知辛い風景なぞ皆無であった。夜は人も店鋪も企業も社会も、何もかもが眠って休む。それが社会の当たり前な営みでありルールだった。
 現在のように賑々しく食玩が彩りを添えるような時代ではないので、菓子屋の倅といえども、駄菓子屋や文房具屋にはせっせと通った。橋を渡った川向こうに文房具屋があって、幼稚園児の頃のボクはそこのお馴染みだった。割烹着のおばちゃんひとりが営むような店であっても厳然たる対面販売であったので、社会通念上の礼儀作法がちゃんと存在した。店を訪ねる際には必ず声がけをしなくてはならなかった。いいとこのお嬢ちゃんは「くださいな」、一般的な庶民の子供は「ちょーだいな」と店先で声がけをする。ご近所の嫌われ者の暴れん坊さえ、その時ばかりは「ちょーだーい」と叫んでいた。今では死滅してしまった子供社会ならではの決まりごとが、この時代にはきっちりと守られていた。

昭和のプラモ歳時記「プラモ小僧走る―回想―」其の11

 きつく閉じた目蓋の中に青空が拡がっていく。もう先ほどまでの痛みも消えた。今はただ冷たく静謐な空気を胸一杯に吸い込んで、心の底まで染み渡っていく安堵と平穏に身を委ねていることが心地良いばかりだ。懐かしい匂い。永い歳月を過ごしたこの家の匂い。畳に染み込んだ太陽と風と海の匂い。煙草とコーヒーと、日溜まりのような猫の匂い。そして僅かに残るあの有機溶剤の滲みるような匂いも。そうした慣れ親しんだ匂いたちに包まれて、私は目蓋の中の青空を見上げる。抜けるような蒼さにちりばめられた綿毛のように白い雲。そして雲は千切れて舞い落ち始める。いや、そうではない。はらはらと降り注いでいるのは桜の花びらだ。僅かな紅で化粧をした淡雪のような、可憐な花びらが私の頬を撫でていく。今年もまた桜を見ることができた。来年も桜が見られるだろうか、もう何年もそうした思いにかられながら春を過ごしてきた。一年、また一年、桜を見ることのできる喜び、そして同時にいつまで叶うのかも分からぬ切なさ。だが、それもようやく終わる。それは永年背負ってきた重荷を降ろすようなものだ。そう思うだけで身も心も軽やかになり、この世の全ての煩わしさから解放される気分だ。この穏やかな気持ち。猫の背のように安らかで優しい温もり。鬱陶しいもの全てを脱ぎ捨てたような限りない自由が全身に充ちていく。同時に昂揚とした気分に包まれて、背中の見えない翼が音も無く羽ばたく。その時、一陣の風が舞って桜の紅が霧散した。走れる、今なら走ることができる、風のように、あの少年の日のように。私は少年の日と同じに桜吹雪の下を走った。颯爽と走った。それはとても爽快な気分だった。

 少年が桜並木の下を走っていく。脇目もふらず一目散に桜並木の下を駆け抜けていく。風のように。その少年はボクだ。学校が終わった夕暮れ、ボクは二日間の禁欲から解放された喜びで有頂天なのである。右手の掌の中には10円銅貨が3枚握られている。一日10円のお小遣いを二日間節制し、三日目の今、目的に向かってひた走っている。目指すは桜並木の彼方の天野屋。駄菓子屋だ。そこでボクを待っているのはプラモデル。ボクの大好きなプラモデル。
 ボクはプラモデルというものと天野屋で初めて出逢った。薄ぼんやりとした黄色い裸電球に照らされて、ボクが天野屋の土間で初めてプラモデルを見たのはつい最近のことだった。元々駄菓子よりは駄玩具の好きだったボクだが、日光写真や銀玉鉄砲や当たり籤のアンチモニー製のレーシングカーなどとは明らかに異質な雰囲気の小箱にたちまち魅了された。ある日突然やって来たその小箱にはカラーで戦闘機の絵が描かれていた。最初に手に取ったのは地上を低空でフライパスしロケット弾を発射するF-51Dムスタングだった。Fの名称が戦後の空軍を意味することさえ知らなかった当時のボクだが、P-51Dムスタング(マスタングの呼称はのちに使われるようになったもので、当時はムスタングと呼ばれるのが普通だった)といえば第二次世界大戦最高の傑作戦闘機として大好きな機種だった。そのムスタングの何だろう...キャラメルのような箱のべロを開けて掌に振り出してみると、それはビニール袋に詰められバラバラになった飛行機だった。胴体や主翼、尾翼や風防が分解されたようにがちゃがちゃと詰められていたが、それでもP-51Dムスタングであることを瞬時に見てとった。バラバラに分解されていても部品のひとつひとつがちゃんとムスタングの姿になっているのだ。それに昇降舵や水平舵、方向舵などの補助翼、排気管などの細部もきちんと彫刻されていた。そして、何よりも驚いたのはその質感だった。ツルツルとして固く冷たい感触。それまでの木やアンチモニーとは明らかに異なった金属のような肌。それでいて羽根のように軽い。それがプラスチックという樹脂で作られたプラモデルという名の新しい玩具との邂逅だった。まさにカルチャーショックであった。こんなに小さくて、それでいてまるで本物のように良く出来ている。感動と興奮の波が一気に押し寄せ、そしてボクは瞬時にプラモデルの虜となった。
 こうしてボクはプラモデルと出逢った。それが三共の1/150ピーナツシリーズであったのは改めて言うまでもないだろう。天野屋の薄暗い土間に並ぶピーナツシリーズは精々が一遍に2~3種類。そして一種類当たり2~3個が渡り相場であった。何のキットに出逢うかは運次第、買えるか買えないかも運次第である。30円が溜まる三日間を待つうちに欲しかったキットが消えてしまうことなど日常茶飯事である。そんな時も諦めて手ぶらで帰ったりはしない。スピットファイアが欲しかったとしても、その場に隼しかなければ一式戦隼へと瞬時に宗旨替えする。なにしろ、ともかくプラモデルが欲しかった。欲しいものであろうがなかろうが、プラモデルでありさえすればそれで良かった。それほどまでにボクはたちまちプラモデルの虜になっていたのだ。
 しばらくは三共のピーナツシリーズに夢中だった。なにしろ天野屋にはプラモデルがピーナツシリーズしかなかったのだから。零戦、隼、飛燕、二式水戦、雷電、震電、晴嵐、93中練、Me109(Bfではない...)、ハリケーン、スピットファイア、ニューポール17、スピリットオブセントルイス、F-104、シーホーク、それはそれは沢山のキットを作った。そしてボクの部屋の押し入れはピーナツ空軍の飛行場となった。

昭和のプラモ歳時記「プラモ小僧走る」其の10

●三共ピーナツシリーズ

No. 1 零式艦上戦闘機52型 30円 1959.12
No. 2 零式水上観測機 35円 1959.12
No. 3 ロッキードF104J 30円 1960.2
No. 4 三式戦 飛燕 30円 1960.1
No. 5 一式戦 隼 30円 1960.1
No. 6 93式中間練習機 赤とんぼ 30円 1960.1
No. 7 四式戦 疾風 30円 1960.4
No. 8 二式水上戦闘機 30円 1960.5
No. 9 雷電 30円 1960.4
No.10 ノースアメリカンF51Dムスタング 30円 1960.8
No.11 97式艦上攻撃機 30円 1960.8
No.12 スピリット オブ セントルイス 30円 1960.8
No.13 メッサーシュミットMe109 30円 1960.9
No.14 ニューポール17C 30円 1960.9
No.15 96式艦上戦闘機 30円 1960.
No.16 ホーカーハリケーン 30円 1961.
No.17 震電 30円 1961.
No.18 ユンカースJu87スツーカ 30円 1961.
No.19 スピットファイア 30円 1961.
No.20 晴嵐 30円 1961.
No.21 烈風 30円 1961.
No.22 ロッキードP38ライトニング 40円 1961.
No.23 月光 40円 1961.
No.24 天山 40円 1961.
No.25 100式司令部偵察機 50円 1961.
No.26 チャンスボートF4Uコルセア 30円 1961.
No.27 ホーカーシホーク 30円 1961.
No.28 ホーカーハンター 40円 1961.
No.29 リパブリックP47Dサンダーボルト 30円 1961.
No.30 神風 30円 1961.
No.31 フォッケウルフFw190 30円 1961.10
No.32 銀河
No.33 ホーカータイフーン 30円 1962.
No.34 セスナ175 30円 1962.
No.35 紫電改 30円 1962.
No.36 エアロコマンダー500B 30円 1962.
No.37 ダグラスA4Dスカイホーク 30円 1962.
No.38 ノースアメリカンB25ミッチェル 80円 1962.
No.39 彩雲 30円 1962.
No.40 彗星 30円 1962.
No.41 ノースアメリカンT6/SNJテキサン 30円 1962.
No.42 ヘンシェルHs129D 40円 1962.
No.43
No.44 ブリュースターバッファロー 30円 1962.
No.45 ハインケルHe100 30円 1962.
No.46 ノースロップT38タロン 40円 1962.
No.47 ボーイングB17F
No.48 カーチスP40ウォーホーク 30円 1962.
No.49 ハインケルHe113 30円 1962.
No.50 グラマンF6Fヘルキャット 30円 1962.
No.51 97式艦上戦闘機 30円 1962.
No.52 零式三座水上偵察機 30円 1962.

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プロフィール

平野克己(ひらの・かつみ)

MC誌の最前線を長うお准将に託し現在はフリーランスの予備役として活動中。湘南鎌倉で猫的スローライフを提唱しつつ、国産プラモデル史の編纂に尽力する日々を送る。永年飼ったコブラ427S/Cを手放しMC(Motorcycle…Modelcarsではありませぬ)復帰を密かに目論む。自称昭和プラモ小僧の60歳。座右の銘は心情溢るゝ軽薄さ。

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