趣味の総合サイト ホビダス
 

« 昭和のプラモ歳時記「プラモ小僧走る―回想―」其の15 | トップ | 昭和のプラモ歳時記「プラモ小僧走る―回想―」其の17 »

2011年6月20日

昭和のプラモ歳時記「プラモ小僧走る―回想―」 其の16

 天野屋に見慣れぬプラモデルの箱が並んでいた。その水色の小箱はピーナツシリーズより更に小さく、ボックスアートも線画だけという地味なものであった。大きさや形状はちょうどマッチ箱くらいだ。それがマルサンのマッチ箱シリーズを知った最初であった。しばらく品定めしたのち買ってみることを決心した。ピーナツシリーズに比較してモデル自体はやや小振りだったが、パーツの出来映えはさして変わらぬように思えたのだ。しかも20円である。ピーナツシリーズの2/3の値段は魅力だった。その時選んだのは1/200(実際はもっとずっと小さい)シコルスキーS-58だ。何故「おたまじゃくし」のようなヘリコプターを選んだのかは今となっては全くの謎だが、ヘリコプター自体が新鮮に思えたのかもしれなかった。20円でプラモデルを買った! この事実はボクの小さな自尊心をいたく満足させた。桜並木の下を走って帰るボクの手には小さなプラモデルと10円銅貨がしっかりと握られ、自らの意志と力によって人生に正しい選択と決断をした喜びが満面の笑みとなって表れていただろう。だが、この選択はいきなり悲劇を生む。付属の接着剤がガラスのアンプルなのだ。これを首のところから付属のハート型カッターで傷を付けて割る。そんな繊細な作業が小学生にできうる筈もなく、ガラス管本体がピシッと冷たい音を立てて割れると同時に、中身の液体接着剤が一気にタッとこぼれ落ちた。なにしろこの接着剤は粘性の低いラッカーシンナーそのもののシャビシャビな液体だった。途端に畳から立ち昇るツンと鼻をつく刺激臭。「だから新聞紙を敷いてやりなさいよって言ったでしょ!」ボクの予知能力が母の激昂する姿を脳裏に映し出す。あたふたする猶予さえ与えてくれなかったこのプラモデルをボクは呪った。お前なんか天野屋の土間で近所の悪童どもに踏み付けられて土に還ってしまえ。あ、プラスチックだから駄目か(それは後付けの表現である)...と、いっとき吠えて、粘性の低い液体であったが為に畳の痕跡もあとかた消えてしまったことに安堵し、それからやおら接着剤をいかに入手すべきかを思案した。結果としては待ち針を刺すことで口を塞いで、後生大事にとっておいた使い残しの接着剤チューブが、ボクを窮地から救ってくれたのだった。
 さて10円ものお得感にほくほくだったボクの勝ち誇った気分は、接着剤気密漏洩事件で地にまみれた。しかし「生来のプラモデル好き」その一点でのみ奇跡の復活を見せる。キットの組み立てはいとも簡単であった。なにしろおたまじゃくしのような胴体は一体成型である。ローターと車輪を付ければもう完成であった。そしてその塩梅のよろしくないことたるや...なんとも無骨であった。三共のピーナツシリーズも今にして思えば如何ほどのこともなかったのだが、それに輪をかけて哀しい出来映えだった。だってローターがところてん押し出す木箱みたいぢゃん...尾輪さえ無いぢゃん(註:「ぢゃん」は横浜の方言である。よって正確にはこの当時、ボクはそうした言葉遣いをしていない)...その実態を見てしまったボクは、10円のバーゲンが如何に深刻な事態を招いてしまったかを知る。安かろう悪かろう、の損得勘定における摂理をこの時ボクは学んだのだ。そして世の中はそれほどには甘くないし優しくもないと。ただマルサンの名誉の為に付け加えておけば、このマッチ箱シリーズ1/600B-47ストラトジェットは中々に素晴らしい。三共のピーナツシリーズに対抗したと思われるマッチ箱シリーズは、国産プラモデルの開祖たるマルサンのプライドとは裏腹に、さしたる成功は納めなかったようだ。だが、かつてはどこの家庭にもあったマッチ箱への親しみにおいて記憶されている。
 今や世界的な嫌煙運動のただ中であり、また家電品の多くが自動点火方式を採用する時代ゆえ、日常における「火種」は必要とされなくなった。それがマッチを絶滅危惧種へと追いやった最大の要因だろう。だが'60年代はそうではなかった。何をするにもマッチは必需品だった。「家庭用徳用マッチ」という大箱があったことからもそれが知れよう。やはり絶滅寸前である喫茶店でも店の名刺代わりに店名入りマッチをサービスした時代だ。それは全国共通であり、ゆえにマッチのコレクターも多かった。マッチはどこの家庭にも当たり前にあった。日常の生活用品の中で最も馴染みのあるのがマッチであった。またマッチ箱には「最も小さい」ことの同意語としての意味合いもあった。その庶民との密接で親しみあるイメージを、キャラクターとして採り込んだことこそがマルサン、マッチ箱シリーズの神髄であった。最も小さなプラモデルであることを示すマッチ箱シリーズの名称。そしてそれを強調した遊び心の表れがマッチ箱を模したパッケージ。アイディアとしては洒落ていた。テレビの西部劇に感化され、怒られながらも卓袱台の上や靴の踵でマッチの火を擦ろうとしたあの頃。使い捨てだったマッチを象徴するように、ボクたちも20円のプラモデルをぞんざいに扱っては使い捨てていたような気がする。10円を大金のように感じていたにも関わらず、あの頃のボクたちには物の有り難味や大切さが本当には分かっていなかったように思えてならない。子供は残酷な生き物だと言われるが、あの頃の子供たちはその上に粗暴な一面もあった。子供は天使だなんて嘘だ。

投稿者 平野克巳 : 2011年6月20日 18:58

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://www.hobidas.com/blogmgr/mt-tb.cgi/102390


« 昭和のプラモ歳時記「プラモ小僧走る―回想―」其の15 | トップ | 昭和のプラモ歳時記「プラモ小僧走る―回想―」其の17 »