趣味の総合サイト ホビダス
 

« 昭和のプラモ歳時記「プラモ小僧走る―回想―」 其の16 | トップ | 昭和のプラモ歳時記「プラモ小僧走る―回想―」其の18 »

2011年7月 1日

昭和のプラモ歳時記「プラモ小僧走る―回想―」其の17

 ボクは中学生になるまで自転車を買ってもらえなかった。いや厳密に言えば小学校低学年の時に一度買ってもらった。だが、それは国鉄の葡萄色のようなペンキでリペイントされた、ひどくボロい中古自転車だった。アルミフレームのママチャリが数千円で買えてしまうような現代とは違って自転車はとても高価だったので、子供がおいそれと自転車を買ってもらえるような時代ではなかった。そしてフラフラとまともに乗れないうちに家の前のドブ川に落ちた。ドブ川といっても側溝のような可愛いものではなく、並木道から水面までは2m以上もあろうかという、落ちたら大人でも簡単には土手を這い上がって来れないようなちょっとした河川であった。なので、それに恐れをなしてボクは二度と自転車を欲しがることもなく、どこに行くにも何をするにも自分の足で走り回った。ボクがいつも走る桜並木はこのドブ川に沿って流れていて、日々の中で川面と木橋は当たり前の風景だった。だが郷愁のふる里のような光景を想像するのは間違いだ。ドブ川の土手はコンクリートブロックで固められ、そこをしょっちゅう猫ほどにも巨大なドブネズミが疾駆していた。流れる水も生活廃水にまみれて臭く汚かった。そのドブ川が毎年必ず台風が来ると氾濫した。ひどい時は腰の高さまで増水し数日間もひかない。並木道を筏が通るのさえ見たことがある。テレビや箪笥などを一階には置かないのが生活の知恵だったが、冷蔵庫や洗濯機はそういう訳にもいかず、その都度、木箱やテーブルでかさ上げしなくてはならなかった。どうしてそんな所に何年も暮らしたのかとも思うが、当時の人たちは与えられた環境に順応する我慢強さには長けていたようにも思える。それに何よりも満開の桜は美しかった。ボクが今も桜の季節を愛してやまないのは、この桜並木の下に暮らしたからかもしれない。
 いずれにしても例えそのドブ川がなくても街は汚かった。鋪装された道はバス通りまで行かなくてはなかったし、砂利道の端はいつも雑草の下生えで鬱蒼としていた。そこに辺り構わず親爺や野良犬が小便をする。天秤棒で肥樽を運ぶ「おわい屋(ボクたちはそう呼んでいた)」がそこいらじゅうにぽったぽったと落としていく。その肥樽を積んだ大八車を牛がひいていく(冗談のようだが本当の話だ) 牛の糞は大きくてぐちゃぐちゃだった。雨上がりにはぬかるみ、夏には白く土埃が舞い立ち、冬の朝には霜柱が立った。いつも埃っぽくでこぼこだった。だから潔癖性の子供でなくても道の端など決して歩かなかった。ましてや昨今のように平気で道ばたに座ったり寝転がったりするようなことなぞ考えられず、居るとしたら乞食(これも現在では禁止用語だろう)か野良猫くらいのものだった。
 桜並木の商店街とはいえ、あちこちに空き地が虫食いのように点在していた。バラ線で囲った地所もあったが、人為的な痕跡もなく放置されたような土地も多く、ボクたちはそうした空き地から空き地へと走り回って遊んだ。三角ベース、戦争ごっこ、缶蹴り、鬼ごっこ...たわいの無い遊びで日が暮れるまで時間を忘れた。そんな空き地のひとつで事件が起こった。秋だったろうか。雨上がりのうっすらと日ざしが覗く午後、その空き地には子供用ビニールプールほどの水たまりがいくつもできていた。枯れた葦だか薄だかが群生する水たまりで、全裸の女の子が水浴びでもするかのようにひとりではしゃぎ回っていた。それが同じクラスではないが同級生の少女だと気付き、眼前の光景の不可解さは一層増した。その白い双臀は艶かしく、唖然として立ち竦むボクの中に人生で初めて性の衝動が覚醒した。あの時、ボクは確かに「女性の全裸体」を見ていた。それまで初恋の孝子ちゃんの白いパンツが愛くるしいとは感じても、その下の裸体にまでは思いが及ばなかった。見てはいけないものを見てしまった罪悪感と、もっと子細に見たい願望がないまぜとなり、異次元へと迷い込んでしまった気分に動揺した。しかし、直後にバスタオルを抱えた母親が駆け付けたことで、事態はあっさり収拾がついた。泥水だらけの娘を抱いた母親は、桜並木の外れにある銭湯に飛び込むことで平凡な日常生活を取り戻したのだ。しかし、あれは何だったのだろう。あのコは知的障害(現在では知恵遅れという表現は差別用語だが、当時は誰もがそう呼んだ)でもなく、また怒りや悲しみにまかせた行動でもなかったと思う。あの時、確かに全裸の少女は笑顔だった。子供は何をしでかすか分からない、とは良く言うが、子供のボクでも分からない子供の言動は確かにあった。ただ、この女の子の場合は水たまりだったので未だ幸せなほうだ。当時の子供たちは畑を走り回って肥溜めに落ちては、慌てて銭湯に駆け込むケースが決して少なくなかったのだから。

投稿者 平野克巳 : 2011年7月 1日 11:37

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://www.hobidas.com/blogmgr/mt-tb.cgi/102485


« 昭和のプラモ歳時記「プラモ小僧走る―回想―」 其の16 | トップ | 昭和のプラモ歳時記「プラモ小僧走る―回想―」其の18 »