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2011年7月21日

昭和のプラモ歳時記「プラモ小僧走る―回想―」其の19

 桜並木の下をボクは走っていた。手には本日の戦利品を誇らし気に握っている。たった今、天野屋で買ってきたばかりのプラモデルだ。ずっと欲しくて欲しくてたまらなかったにしきやの戦艦大和である。ただこの大和はちょっとした問題を抱えていた。三日目の今日には買えるはずのない35円の売価であったのだ。では本来手元にないはずの5円をどこから調達したか。実は福屋の売り上げ金からちょろまかしたのだ。これは立派な犯罪である。不正な使い込みである。横領である。100円や500円の札はレジスターに納められていたが、小銭の硬貨はブリキの空き缶に入れられていて、母の目を盗んでこっそり持ち出してきたのだ。商いにおいて店の売り上げ金に手をつけることは御法度と厳しく戒められてきた。ボクは模範的モラリストであったから(嘘である)、これまで御禁制を破ったことなど一度もなかった。だが欲しくてたまらぬ大和が35円と知った時、ボクは悪魔に魂を売り渡したのだった。人間は何日水を摂取しないと死ぬというようなことを何かで聞いたが、ボクの場合は三日プラモデルに触れないと死ぬ。もちろん嘘である。だが、とても四日間は我慢できそうにもなかった。そこで一計を案じた。
 当時はたいていそうだったが、天野屋でも売価は箱の裏側に鉛筆で書き込まれていた。物流の確立していなかった時代なので全国一律に定価が決まっていた訳ではなく、それゆえパッケージに定価は印字されていなかったからだ。地域によって、小売店ごとに輸送費などを含めた希望小売価格を勝手に決める。もちろん30円のものを300円などと法外な価格にする訳ではない。商いは信用第一なのである。ともかく天野屋ではにしきやの戦艦大和が35円で売られていた訳である。くすねた5円によりボクは思いを遂げた。だが、その日に限って母の検閲があった。買ったものを帰ったら見せろと言う。ボクの挙動に何か不審さを感じたのかもしれなかった。焦った。そのチェックをどうして潜り抜けるか。すでに閃いていたボクには勝算があった。それを世間では悪知恵というが、ボクにとっては成功必至の妙案である。いつもなら喜び勇んで店先からあがり母へ報告すべく直行するのだが、この日は裏木戸から庭を抜け自分の部屋へと足音を忍ばせて帰った。そして、やおら筆箱から消しゴムを取り出すと、大和の箱に書かれた35.ーの文字を消す。この時ばかりは天野屋のおばさんの鉛筆書きに感謝した。次に自分で30.ーと書き直す。完全犯罪成立の瞬間である。だが、しかし...バレた。しかも一瞬にして。30.ーの文字がいかにも子供の字だったのだ。その上、30.ーの文字の下にはくっきりと35.ーの痕跡が残っていた。天野屋のおばさんの筆圧は強く、パッケージの表面に凹みとなってはっきりとしるされていたのである。悪知恵というよりは浅知恵であった。このあと、こっぴどく叱られたのは言うまでもない。
 母方の祖母がやって来た。お小遣いだと500円札を一枚くれた。この蒼いお札は滅多に拝むことのできない高額紙幣であった。もう後先など考えられない。今すぐプラモデルを買いに走りたかった。しかも天野屋ではなく、その先の橋を渡った向こうに新たにできた模型屋に。なにしろ500円だ。普段は決して手の届かない高額、高級キットへの招待状なのだ。もはや完全に冷静さを失ったボクは空にも昇らんばかりに舞い上がっていた。天野屋には目もくれず桜並木の下を全力疾走、木橋をダッダッダッと派手な音を立てて走り抜ける。それはボクの心臓の鼓動だったろうか。
 普段は決して買うことなど叶わぬキットをボクは買った。日本ホビー1/36スターリン戦車だ。キャタピラ(キャタピラー社の登録商標だが、当時は誰もが戦車の履帯をそう呼んだ)で走る大型戦車プラモはずっと憧れだったのだ。スターリン戦車は300円。当然モーターも電池も買える。TKKマブチ35モーターが90円、単2乾電池が2本で50円、願いましては440円である。何という買い物上手! ひとり悦にいったボクは嬉々として帰った。だが、そこに待っていたのは「だからいっぺんに使っちゃうんじゃない、って言ったでしょっ!」と激昂する鬼の形相の母であった。怒れる親と台風はじっと過ぎ去るのを待つに限る。まさに台風一過の晴天は翌日にはやって来た。黒いゴムではない銀色のキャタピラ。ボクはこれにずっと憧れていた。しかもモーターも電池もある。こんな贅沢はしたことがなかった。走るプラモデルが我が手に。ボクは思った。人生最良の日だと。ちっちゃい人生である。しかし、当時の子供にとってプラモデルにモーターを付けるのは、かくも厳しく困難なことであったのだ。思えば三和のアルファロメオGPレーサー(フロントエンジンのティーポ158だったかと思う)をようやく手に入れた時も、これはもうモーターで走らすしかないと母に必死の懇願をしたのであった。家事と店番で忙しく動き回る母に食らい付くこと二時間余り、普通ドラマなどでも根負けするのは親のはずだが、この時息絶えたのはボクのほうであった...。そしてボクのアルファロメオGPマシーンは土偶と化した。冷静に考えれば全財産の150円をキットに費やし、更にTKKマブチ02モーターの100円を親からせしめようなどと企てたボクの目論みが甘かった。物も金も乏しい時代、世間は子供にも容赦なかったのだ。
 かくして動くプラモデルを遂に我がものとしたボクは、緊張と興奮に震える指先でスイッチを入れる。ジャーッというがさつな金属音を立ててボクのスターリン戦車は進む。座布団の丘陵も少年雑誌の掩蔽壕もものともせずにボクのスターリン戦車は進む。得も言われぬ感動だった。ただ走るというその一点だけでも心が踊ったが、初めて目の当たりにする戦車の走破能力の凄まじさに目を見張った。凄い。走る戦車は凄い。それからというもの、日がな一日ボクは飽くことなくスターリン戦車で遊び続けた。リモコンでもラジコンでもなくただ前行進するだけである。現代の子供たちではあり得ない安上がりな子供であった。しかしボクにとってはこれ以上に至福の時間もまたなかった。

投稿者 平野克巳 : 2011年7月21日 12:34

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