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昭和のプラモ歳時記0「プラモ小僧走る―回想―」其の22

 月刊少年誌を愛読するようになったのが一体いくつの時だったかは、もはや確かな記憶もない。おそらくは幼稚園の年長の頃ではなかったか。毎月の月初めになると書店の平台にズラリと並べられたその光景は圧巻だった。なにしろ種類が多かったのだ。少年、少年画報、少年ブック、冒険王、日の丸、ぼくらなどが互いに覇を競っていた。いずれも付録のペーパークラフト(これが最も楽しみである第一付録)と別冊(連載マンガが本誌と別冊に分冊されていた)数冊が挟まって、あたかも「子持ちししゃも」のように脹らんだ本誌は、紙紐で十文字に縛られていた。この脹らみ具合こそが「今月は何を選ぶか」の判断基準ともなっていた。当初は愛読誌を決めておらず、付録の優劣で決めていたようなところがあった。特にペーパークラフトは思い出深い。零戦52型と飛燕を作った記憶は鮮明だが、カウリングや機首の丸みは切り込みを入れて大和糊で繋いでゆくので、スムースな曲面には到底ならない。手抜きのCG映像のようにカクカクとした形状である。プロペラや車輪のシャフトにマッチ棒を使うように指示されていたことも良く覚えている。とにもかくにも完成させるのはとても難しかった。だが、できあがると大きくて立派であった。記憶の中では1/24スケールほどもあったかに思うが、当時の少年雑誌の付録は本誌以上の版型の紙シートを使えぬ規制があったはずなので、おそらくそんなに大きなモノではなかったろう。「こんなに小さかったかなあ、こんなに狭かったのか」などと、子供時分の記憶を訂正せねばならないことは良くあることだ。自分が小さかったのである。子供とは世の中を大きく広く感じて生きている。
 少年雑誌の付録模型もこの頃には近代化が始まり、戦艦三笠や国会議事堂などに代表される戦前からの流れである本格的な大型ペーパークラフトから、次第により小型でアイディア先行の「遊べる玩具」へと性格も様式も変化していくようになる。ハンドルを回すと銃身がグルグル回転し(たか...?)、ゴムで円盤型の弾を発射するガトリング銃などはそうした新しい部類のペーパークラフトであった。ただ、そうした傾向を強めるにつけ、ボクの第一付録への情熱は次第に冷めていった。そして、それに替わったのが連載マンガへの傾倒であった。次第に贔屓のマンガを重視するようになると、必然的に愛読誌も固定化するようになる。ボクの場合は「少年ブック」であった。それでも毎月欠かさず買える訳でもなかったので、毎月「少年(だったと思う...)を買っているSくんには強請ってみせてもらった。そして、そこで強烈な印象となって残ったのが、連載マンガでも冒頭特集でもなく、毎号のように掲載されていた三和模型の広告だった。贅沢にもカラーであった三和模型の広告には常にMG-TD、ジャガーXK-120、フェラーリ340アメリカ、(トライアンフTR-3Aはあとから発売されたものなのか記憶がない)のボックスアートが掲載されていた。俯瞰から見た疾走するMGは例えようもなくカッコ良かった。なにしろ外国製スポーツカーなぞ生まれてこのかた見たこともなかった。モーターで走る海の向こうのスポーツカーのプラモデル。毎月毎月、眺めてはため息をついた。そのときボクは未だ見ぬプラモデルに恋していたかもしれなかった。もちろん今にしてみれば大したキットではない。おそらく米レベル1/32モデルをコピーしたものだが、本家のキットに較べるとかなり無骨な内容にアレンジされてしまっている。そんなキットでも当時のボクは恋して恋して恋い焦がれていた。その広告ページには外国の香りがした。ちょっとばかり怪し気な和風テイストであったが、それゆえに地方の小学生に過ぎないボクにもストレートにアピールしたのだろう。リア・ディゾンみたいなものか...。
 1959年/昭和34年には少年マガジンと少年サンデーが相次いで創刊され、以後少年雑誌は月刊から週刊の時代へと突入していくのだが、ボクは1965年/昭和40年頃までは月刊誌を愛読していた。その頃はスピードくじが流行っていて、ページ下のくじを開けるとその場で当たりはずれが分かった。これにはその都度、心臓が爆発しそうに興奮するのだが、現実はいつも「はずれ」の三文字が空しく印刷されていてひどく落胆した。当るとコグレ1/24のロータスだのフェラーリのスロットカーキットがもらえるのである。その賞品の写真を食い入るように見つめては、これを手にする奴は日本のどこに居るのだろうか、と寂しく羨望の思いを募らせた。「そんなに世の中、ぼた餅みたいな幸運は転がってはいないのだな」と痛感しては憔悴するボクではあった。なので、またぞろボクの関心は誌上通信販売へと向くこととなる。これなら強運か否かなどとは無縁だ。幸運を手繰り寄せる特別な能力なぞ必要としない。ただ地道に真面目に生きてさえいれば良い。小学生ながらボクはそうした境地に達していた。小さな子供である。これでは大きな大人になぞ成りうるはずもない。子供が夢と希望に瞳をキラキラさせる生き物だ、などというのは大人の創った絵空事だ。大嘘である。
 しかしてボクにとっての誌上通販も「何でもかんでも」欲しかった時代は過ぎ、ドットの浮き出た粗い写真であっても完成品でキットの善し悪しが判断できるようになっていた。このパンサー戦車カッコ悪いぢゃん、このセドリックはけっこう本物っぽいな、などと品定めする知恵だけはついた。更には緑商会(実名ご免)ぢゃなあ~などと、ブランドで良否の判定さえする訳知り顔で嫌味な子供となった。既にプラモデルに対しては小学生にして老成してしまったボクの行き着く先は、友だちから「プラモ博士」と呼ばれる哀しい末路だけが待っていた。もしもこんな子供がボクの息子だったら...。想像するだに嫌だ。ボクの父は自分の息子について、息子の遊びについて全くと言って良いほどに興味も関心も示さぬ人であったが、それだからこそボクは無事に現在まで生き抜いてこられたのかもしれない。それは父に感謝することなのか。いや、そうではあるまい...。

プロフィール

平野克己(ひらの・かつみ)

MC誌の最前線を長うお准将に託し現在はフリーランスの予備役として活動中。湘南鎌倉で猫的スローライフを提唱しつつ、国産プラモデル史の編纂に尽力する日々を送る。永年飼ったコブラ427S/Cを手放しMC(Motorcycle…Modelcarsではありませぬ)復帰を密かに目論む。自称昭和プラモ小僧の60歳。座右の銘は心情溢るゝ軽薄さ。

2014年10月

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