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2011年8月 5日

昭和のプラモ歳時記「プラモ小僧走る―回想―」其の20

 ボクが自我に目覚めた、つまり日々の暮らしを自覚した最初の記憶は東京の桜上水だ。だからボクのルーツと言っていいのかもしれないが、余りに幼すぎてさしたる記憶がない。ただ近所の友だちの家に遊びに行くと、ボクがひとつも持っていないような大きなブリキの自動車や飛行機があって、幼児でありながら既に社会格差を感じ卑屈になったことだけは覚えている。その後は目黒、石神井と移り住み、幼稚園の年長組の時に関東近県、この舞台である桜並木のある商店街へと住処を移した。
 当時は関東といえども地域格差が大きく、土地土地の方言が厳然として存在し、物言いばかりか考え方までも異なっていた。東京からやって来た、それだけでボクは珍しがられた。そこには「都会もん」という言葉で表される、羨望の裏返しのような嘲りがあった。そこにはボクのようにあちこちを転々として来た者では明らかに持ち合わせていない、その風土で生まれ育った連帯感というか絆のようなものが強く作用していたように思われる。子供社会ではそれがより鮮明で、他所ものを簡単には受け入れない土壌があった。ボクは半ズボンを履いていたが、先ずはそれがからかいの原因となった。確かに半ズボンの子供などいなかった。女の子でさえスカートなぞ履いてはいなかったのだ。いずれも坊ちゃん刈りかおかっぱ(後頭部を刈り上げたワカメちゃんのような髪型である)で、小奇麗な身なりをしていると「気取ってる」とか「金持ち」などと揶揄されてあからさまな嫌悪の対象となった。それでもボクにはボクなりのプライドがあって、床屋さんでは「しちさん」に分けてもらうのをやめなかった。理髪師のおやじさんが「ぼっちゃん、粋だねえ」と笑ったのを覚えている。未だそんな時代であった。さらにボクには兄弟がいなかった。「ひとりっ子」それだけで子供ばかりか大人たちからも珍しい生き物を見るように奇異な目で見られた。どこに行っても誰に会ってもそれが話題となった。いっとき、ひとりっ子というのは家庭的に不備があるものなのか、それとも人格的に欠陥があるものなのか、と真剣に悩みさえした。それでも不器用ながらボクはボクなりにその土地柄の気候風土、対人関係に溶け込もうと努力した。そして次第にその地域の子供となっていった。
 やはり兄弟がいないというのは孤独なものだった。家に帰れば子供はボクひとりである。近所の友だちと遊べなければひとり遊びをするしかない。追々、ひとり遊びの得意な子供になっていった。おそらくプラモデルがそれを助長したかもしれなかったし、プラモデルがそんなボクを支えてくれたのかもしれなかった。なぜあれほどにまでプラモデルにのめり込んだのだろう。今になってそんなことを考えてみる。それは寂しさを紛らすため、あるいは忘れるためだったのかもしれない。どこまでも払拭することのできない孤独感を、いっときだけでもプラモデルが癒してくれたような気がする。絶望することなくボクが無事に育ってこられたのは、おそらくはプラモデルのおかげだ。しかし、そのプラモデルがボクに世間の現実を見せつけることも時にはあった。クラスの学級委員のYくんは勉強ができてスポーツ万能でかっこ良くて、クラスの女の子の憧れの的だった。ある時、彼もプラモデルが大好きなことを知り、見せてもらう約束をした。ボクの身の丈ほどもある雑草をかき分け原っぱを抜けると彼の家はあった。立派な構えの玄関の瀟洒な建物だった。下町の商店の倅であるボクはその時点ですでに臆していたかもしれない。そして彼が手にしていたのはモノグラムのB-58ハスラー、レベルのP2V-7ネプチューン、マルサンの1/50百偵、同飛燕、疾風など、ボクが見たこともないプラモデルたちだった。取り分け外国製キットへの羨望、そしてそうしたキットを買うことのできる家庭環境に、社会的階級格差、子供の言葉でもっと簡単に言ってしまえば「人種の違い」を思い知らされた気分だった。その帰り道、初めて目の当たりにした外国製キットが遠い存在であることを思っては、また人は皆等しく平等に生きている訳ではないことを感じては、気持ちの沈み込んでいくボクだった。ただ、それでボクは拗ねたり白けたりする子供ではなかった。他人は他人、ボクはボクだ。そこの辺りの割り切りも立ち直りもまた早かった。世の中に凄いプラモデルがあることを知ってからも、三日ごとに桜並木の下を走り続けた。それがボクのプラモデル。それがボクの生きざま。寂しくても哀しくてもボクにはプラモデルがあった。天野屋が待っていた。あの薄暗い土間に立ちプラモデルの箱を吟味するときの昂揚感だけが、あの頃のボクには全てだった。世の中からドロップアウトしてしまいたい気持ちを抱えながら、それを寸でのところで押し止めていたのは小さなプラモデルたちに他ならなかった。プラモデルに支えられプラモデルに助けられたボクの小学生時代。それは今振り返っても酸味の伴う苦い記憶でしかない。楽しかったことなどひとつもない、などとは言うつもりもないが、天真爛漫に屈託なく過ごした記憶もまたない。子供は子供なりに日々苦しみながら考えながらもがきながら生きる。誰もが子供時代に戻りたがる、それは子供の心を忘れてしまった大人の戯れ言に過ぎない。

投稿者 平野克巳 : 2011年8月 5日 15:56

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