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2011年8月25日

昭和のプラモ歳時記「プラモ小僧走る―回想―」其の21

 ボクは学校が嫌いな子供だった。既に記したようにいつも異邦人のように扱われ、時には学年に必ずひとりはいたガキ大将にいじめに会うことさえあった。だが当時、大人はむろん、子供たちでさえ日々学校に通うことが当たり前で、それが義務とさえ考えていた節がある。引きこもりなどということは概念としても存在してはいなかった。当然、ボクも苦痛は感じつつも日々淡々と学校には通った。現在のような陰湿ないじめが継続的に続くことのなかったせいもあったが、ボクはボクなりに要領良く立ち回れる性分であったことも幸いしたのだろう。勉学一途でも生真面目一辺倒な秀才でもなく、ガリ勉タイプでもなかったボクは、それなりにクラスの信認を得てはいたのだが、ボク自身の内面ではいつも空虚な孤独感が渦巻いていた気がする。なによりもボクは集団行動というのが苦手だった。そんな「基本学校嫌い」のボクだったので、風邪や腹痛などで学校を休んだ日はむしろ憂鬱な気分から解放されて嬉しくてたまらなかった。ただ一旦休んでしまうと、休み明けにはクラス中から好奇の目に曝されるのが鬱陶しくもあって、そこは中々に微妙でもあった。
 家の近くには中学校が在った。学校を休んだ朝は、流れてくる始業時間のチャイムを聞きながら密やかな優越感に浸った。いつもは嫌いなウェストミンスターの鐘の旋律も、このときばかりはボクに何かを強いる合図ではない。今頃、みんなは「起立、礼!」などと、長い一日最初のセレモニーに勤しんでいる時分だ。でもボクはのんびりと布団の中で、台所から流れてくるラジオの歌声に耳を澄ましている。それはボクたち子供の知らない時間。大人たちだけのゆったりと怠惰な時間。そんな見知らぬ時のたゆたいに浸りながら、別世界を垣間見る好奇心で胸が高鳴った。平穏で静かな時が流れていた。ラジオからは流行歌のメロディー、台所から洩れてくる陶器のぶつかり合う音、そして時たま風に乗って届く電気カンナやトンカチの響き。それはボクの知らない日々のざわめき。街がたてる日常の息遣いだった。そんな路地裏の囁きに耳をそばだてながら、母の目を盗んでは枕の上の戦場で熾烈な戦車戦を繰り広げた。主役は三和マイクロタンクのM-48パットンだ。後方支援はM-56が受け持っている。敵側を演ずるのはM-47とM-59。兵員輸送車のハッチが開いて歩兵がバラバラと展開してゆく(そこのところは妄想である) やはり敵前に上陸するためには水陸両用車が欲しいところだな...次はこのシリーズのMK-4(LVT4のこと)を買おう! もうその頃には朝方の腹痛などすっかり忘れてしまっているボクだった。学校を休んだ日の正午前、時の流れは穏やかで優しい。
 学校を休んでしまった日はどこへも出られない。学年が違うのでボクが休んだことを知らない親友のシゲちゃんが「かっちゃーん、あそぼーっ」の声と共にやって来ても門前払いされてしまう。プラモは買えずともひとりこそっと天野屋に偵察に行きたいと願っても、厳戒体制の検問を突破するのは不可能にも等しい。こんな日は庭から望む四角く小さく切り取られた空が暮れなずんでゆくさまを、ひとりぽつねんと眺めた。やがて畳の上に夕暮れがひっそりと忍び寄る頃、忘れられたM-47が小さなシルエットとなってボクにそっと寄り添ってくれるのだった。プラモデルは子供には優しい。明日は元気に学校に行こう。でなくては天野屋に行かれもしないし。
 数年後、ボクはROCOの戦車たちと出逢うこととなるのだが、ロコのモデルたちと較べても余り遜色のない(子供の目にはそう映ったのである。実際にはかなりな隔たりがある...)三和のマイクロタンクシリーズは凄いキットだったのだな、と改めて見直し感心した。マイクロタンクがどうやらロコのコピーであるのに気付いたのは、それからまた20年ほども経ってからのことである。なんとも間抜けな話だが、情報のない当時の子供にはそんなことなぞ分かるはずもなかった。

投稿者 平野克巳 : 2011年8月25日 13:32

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