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2012年1月アーカイブ

昭和のプラモ歳時記「プラモ小僧走る―回想―」其の24

 三日ごとの天野屋通いは続いた。その行動様式はあたかも厳格に日々を律した老紳士の散歩のように、時も道筋も時には足取りさえも判で押したかのような謹厳実直さを保った。走り抜けるボクに桜並木下の揚げ物屋のおばさんが「パン屋のプラモデル坊やが通る。もう三日経ったんだねえ」と笑うくらいであったほどだ。嘘である。
 三共のピーナツシリーズで幕を開けたボクのプラモデル三昧の日々は、マルサンのマッチ箱シリーズ、三和のMタンクシリーズ、にしきやのポケットシリーズなどによって更に世界が広がっていった。そんなある日、にしきやのポケットシリーズよりちょっとだけ箱の大きく立派な感じのキットに出会う。旧日本海軍の軍艦であることは瞬時に分かった。駆逐艦だ。その船体にはカタカナで艦名が印されていた。「キブフ...?」未だボクは戦後まで横書きが右から書かれていたことを知らなかった。それがASK/渥美産業1/1000連合艦隊シリーズとの最初の出合いだった。にしきやもASKも今で言うところのウォーターライン、吃水線上のみの洋上モデルだったが、にしきやのシリーズとは異なって、船底に赤いセルロイド板を貼るようになっているのがなぜだかボクの琴線に触れた。しかし、45円は明らかに予算超過である。天野屋には他に秋月も入荷したが、結局吹雪ひとつを買ったのみでこのシリーズとは別れを告げた。
 いずれにしても30円の時代は終わりを告げようとしていた。三共のピーナツシリーズでさえ30円では買えないものが出現し始めていた。それを知ったのがP-38ライトニングだった。相も変わらず埃っぽく仄暗い天野屋の店先で、それを発見したときの嬉しさを何に喩えよう。山本五十六連合艦隊司令長官をブーゲンビル島で屠った、あのにっくき双胴の悪魔(少年雑誌でこのテの知識は磐石であったボク...)、しかしてその実態は日本軍の戦闘機にはないスマートさであることよ...。これだ! これしかないっ!意気揚々とライトニングの箱を差し出すボクに、天野屋のおばさんの何と冷淡なことか...。その光景を見兼ねてか普段は滅多に店に顔を出さないおじさんが一言。「ごめんねえ。それは30円じゃ買えないんだ」 な、なんですとー。一気に意気消沈するボク。確かに箱には40.ーの文字。三共のピーナツシリーズは全て30円ではなかったのか。そう言われてみれば、確かにプロペラが2枚だから、胴体がふたつだから(妙な理屈だが説得力はある...ような気はする)、なによりも大きいから30円であるはずもなく...そのときのボクの風情たるや、おそらく哀しみの沼に捕われたアルタクスもかくやの態のショック状態であったのだろう。おじさんは宥めるように優しく言った。「いつも買ってくれるから、特別に30円でいいよ」 ボクはライトニングの箱を握って並木道を走った。おじさんの優しさよりも10円儲かったことに有頂天となって。子供とはかくも浅はかで身勝手な生き物である。
 もはや薔薇色の30円の日々は終わった。これを機会にボクはタフな労使交渉へと突入、長く厳しい賃上折衝の末、ついに要求額の獲得に成功する。これまでの日給制に替わり新たに導入されたのは月給制であった。それは日10円から月500円というもので、単に額面だけをとらえれば実に160%強のベースアップであったが、それでも当時のボクにとっては決して日々の暮らしが楽になるほどの額ではない。なにしろ毎月欠かさない月刊少年誌が160~170円程度、いつから週刊誌(少年サンデーの愛読者であった)に乗り換えたかは既に記憶にないが、週刊少年誌が特別号などを除けば40円で月160円程度である。友達との遊興費としては戦争ごっこで消費する銀玉や三角ベースに用いるゴムまり(1個5円。すぐ割れるので予備も含めて2個買う。これは暗黙の輪番制で誰かが買うこととなっていた)も案外バカにならない。菓子屋の倅だからとて菓子を食べ放題な訳もなく、プラモデル欲しさにグッとこらえて我慢する...が、身体は甘いモノを欲しがる。チューブのソフトチョコやキャラメルを時には自分の家で買う。してみるとプラモデルに支出できる金額は、そうそうふんだんに残っている訳でもなかった。ましてプラモデル1個当たりの代価が、これまでの30円に替わって40円~50円へと高騰しているから、計算上は買える数がこれまでより減ってしまうこととなる。幸いボクの家では学用品代は小遣いとは別に支給されたが、それでも相当な「やりくり上手」であることが求められた。
 プラモデルにはあらゆる代償が求められたが、そのための努力は惜しまぬボクだった。菓子は家の商品を時に盗んだ。遊びに出かける刹那、幾つか掴んではポケットにねじ込む。窃盗である。既に記したように当時は計り売りなのでそれができた。ただ、この盗み喰いの欠点は種類が限られることだ。動物ビスケットや餡きり、ジェリービーンズなどは良いが、鯛せんはポケットの中で割れて粉になってしまうし、五家宝はぐにぐにに潰れて変型してしまう。だから日暮れどき、家に帰る前には必ずズボンのポケットを裏返してははたくことを忘れなかった。証拠隠滅である。姑息なガキである。また空き地で戦争ごっこをしたあとは例え敗軍の将であろうがなかろうが、背中を丸め落ちて地面に散らばった銀玉を拾い集めた。リサイクルの先取りである。エコの始祖である。今風に言えば...。いや、それはカッコづけの言い訳に過ぎない...。
 すぐ割れてしまうゴムまりは当時たいていの子供がポケットに突っ込んでいたほどにポピュラーな遊び道具であったので、誰かが持っていることに期待をかける。けっこう楽観的である。まあ最悪でも空き地の草原をかき分けていれば1個やそこらは落ちていた。かくも逞しく涙ぐましい努力の果てにボクはプラモデルとの蜜月を堅持し続けた。家の近所を遊び回ること、そしてプラモデルを買って作ること、ボクに限らず当時の子供にとって日々の娯楽はそのくらいなものであった。未だ遊びが季節の風物詩と深く関わり合いを持っていた時代なので、正月には凧上げ、夏には虫採りなど、あたかも年中行事のごとく特別な遊びにも精を出した。だがプラモデルに季節はなかった。ボクは年がら年中、プラモデルのことばかり考えているような子供だったかもしれない。まさに「プラモ馬鹿一代」の素地は既にこの頃、できあがっていたのだろう。嬉しいんだか哀しいんだか...だ。

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プロフィール

平野克己(ひらの・かつみ)

MC誌の最前線を長うお准将に託し現在はフリーランスの予備役として活動中。湘南鎌倉で猫的スローライフを提唱しつつ、国産プラモデル史の編纂に尽力する日々を送る。永年飼ったコブラ427S/Cを手放しMC(Motorcycle…Modelcarsではありませぬ)復帰を密かに目論む。自称昭和プラモ小僧の60歳。座右の銘は心情溢るゝ軽薄さ。

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