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2012年2月アーカイブ

昭和のプラモ歳時記「プラモ小僧走る―回想―」 其の26

 西部劇ブームに感化されたボクたちにとって、ピストルは欠くことのできない重要な小道具であった。しかし、駄菓子屋で売られている銀玉コルトが精々で、トイガンなど中々手に入れられるものではなかった。玩具店で売られていたトイガンの主流は安価なブリキ製のコルク銃で、これはコルクの弾が紐で銃身と繋がっていて「ぽん」と撃つとコルク弾が30センチほど飛ぶ仕組みだった。これを卒業すればベークライトなどでできた妙に重いトイガンで、これはプラスチックの弾丸(形状は空気銃のものと同じだった)をスプリングで飛ばす仕組み。だが「何とかコルト」などの名称がついた架空の怪し気なものが多かった。だからボクたちはデパートなどに陳列されている、米マテル社など輸入品のダイキャスト製トイガンに憧れた。コルト45ピースメイカーなどを模した、西部劇でお馴染みの回転式リボルバー拳銃は、まさに実銃そっくりに思えた。本体が銀メッキで刻みの入った白いグリップ、弾倉の後側から弾丸をひとつずつ装填する実銃そっくりの構造...これさえ持てたらボクは「西部のパラディン」になれる...。空想は妄想を呼び、銀玉コルトを片手にしたボクは未開の西部へと旅立つ。インディアン嘘つかない。
 現在のエアガンのルーツともいえる金属製モデルガンが本格的に登場したのは昭和40年代になってのことだ。1962年/昭和37年に公開されヒットした007シリーズ第一作"007は殺しの番号(のちにドクター・ノオに改題)"劇中、ジェームズ・ボンドが愛用するワルサーPPKに人気が集まり、これがモデルガンブームの火付け役となった。このワルサーのモデルガン化第一号はMGCと言われるが、その普及の牽引役となったのは中田商店でおおむね3,800円の価格構成であった。モデルガンは玩具の中でもラジコンと並んで高価なアイテムであった訳である。
 話を戻そう。ガンマンに岡惚れのボクたちだったが、金属製モデルガンなど未だ影も形もなかった時代である。第一、マテルやヒューブレー(最近ではハブレーと発音するようだ)のトイガンさえ雲の上の存在であったのだから、金属製モデルガンなどあったとしてもとても太刀打ちできなかった。だが銀玉鉄砲やコルク銃では「実物への憧れ」が充たされない。そうした心の隙き間を埋めてくれたのがプラモデルであった。但しボクたちに手が届いたのはミニチュアガンで、スケールは1/3~1/4程度の小さなものばかりであった。三共やYMCなどからも発売されていたが、ボクにとって最も馴染みのあるのは十五番ホビー(のち日本ホビー)のマッチガンだ。その名のとおりスプリングで弾丸に見立てたマッチ棒を飛ばすという他愛もないもので、スプリングを挟んで左右を合わせれば完成という簡単なキットだった。コルト45ガバメント、ブローニング・ハイパワー、ワルサーP-38、ルガーP08、モーゼルHScなど世界の有名拳銃が揃っていたが、南部十四年式がモデル化されていて当時のボクを狂喜させた。全くもってミーハーを嫌う「鼻持ちならない嫌味な」子供であった。ちなみにこのマッチガンの多くを、ボクは天野屋ではなく近在の金物屋で買った。鍋釜で溢れたアルマイトいろ一色の店先に、ぽつんとこのプラモデルだけが異次元の光りを放っていたのは何とも不思議な光景だった。その商品体裁はボール台紙にシュリンクされた、いわゆる「駄玩形態」で、木の柱に打ち付けられた釘にぶら下がり風にユラユラと揺れていた。そんな光景にもボクたちは目を輝かせていた時代だった。
 マテルのコルトからすればマッチガンは一体どれだけの価格差があったのだろう。ボクはマッチガンを30円で買っていた記憶があるので、おそらくは数十分のいちくらいなものだったろうか。それでも30円のプラモデルを買うのは至難の技であった。だから絵心のあったボクはよく白ボールに拳銃の絵を描いては、切り抜いてミニチュアペーパーガンを作って遊んだ。念の入ったことに同寸で左右向きを違えて描き、大和糊で貼り合わせて作った。もちろん立体感は何ひとつとしてない。それに時には右も左も同じ形状と構造の不思議な拳銃になった...。それでも嬉しかったし楽しかった。プラモデルのマッチガンを沢山コレクションした気分だった。「嗚呼、いじましさに目が潤む」なのか、それとも「ちっ、貧乏ったらしくていけねーや」なのかは、受け取り側の臍下三寸ではなく...舌先三寸でもなく...胸先三寸である。ボクは一切関知しない。
 現代ではコスプレといえば秋葉原オタク文化の象徴であるが、かつてはテレビや漫画に影響された子供の特権みたいなものであった。さすがにボクたちの世代は唐草の風呂敷を背負ったら高い所から飛び下りられるなどとは考えなかったが、傘をさしてブロック塀の上から飛んだりはした。スーパーマンではなく空挺隊員気分の実地検証である。顔に手拭いやマフラーも巻かなかったし、白フレームのとっぽいサングラスもかけなかった。月光仮面や少年ジェットを真似るほどには、ボクたちは純真無垢な世代ではなかったのかもしれない。だが、それはアメリカ製西部劇というリアリティに富んだドラマを、テレビという動く映像でふんだんに観られたことで形成された嗜好ではなかったか。ボクたちは挿し絵でもなく漫画でもなく、紛れもなくテレビで育った世代なのだろう。こじつけかもしれぬがボクは日本のテレビと同じ年に生まれ、同じ歳月を生きている。
 急速にテレビ番組編成が充実し放送時間が長くなった。それはボクたちの雑誌文化からの決別をも意味していた。現在ではエンドレスで深夜番組が流れているが、当時は深夜12時で放送が終了した。画面に日の丸がはためき、あるいは鳩が羽ばたき「本日の放送を終了させていただきます」のナレーションが流れると、あとは砂地の画面とざらついた雑音ばかりとなる。こっそり夜更かしをしていると、この一瞬がたまらなく寂しかった。そして朝となり蛇の目模様のテストパターンが映し出されると、放送開始が待ち切れずにもどかしかった。テレビはボクたちの全てを支配した。あらゆる生活習慣や行動様式、あるいは思想にさえも影響を及ぼす魔法の小箱であった。果たしてそれが天使の微笑みであったのか悪魔の囁きであったのかは分からない。ただ、テレビの出現と普及によってボクたちの暮らしは激変していった。

昭和のプラモ歳時記「プラモ小僧走る―回想―」其の25

 現代ではテレビは自動車と共に家庭の必需品のひとつであって、あって当たり前のような存在である。今では何の変哲もない日常的な家電品に過ぎないが、かつて「我が家にテレビジョンがやって来る」というのは一大イベントであった。当時、テレビ受像機は法外な価格であったので、庶民がおいそれと買えるような代物ではなかった。しかし、1953年/昭和28年2月に国営放送NHK東京テレビ局が、同年8月には民放放送日本テレビ放送網が開局、本格的なテレビ放送が開始されると庶民はテレビの話題に終始するようになる。どこかの家でテレビを買えば、恥も外聞もかなぐり捨てた平身低頭の態で上がり込んでは観せてもらった。なにしろ茶の間で小さな小箱を介して動く映像が観られるのであるから、子供でなくとも興味津々、興奮のるつぼなのであった。ボクは繁華街には住んでいなかったので街頭テレビを観た記憶はなく、力道山の空手チョップの応酬にも自宅の茶の間で声を嗄らして声援を送っていた。ときに駅前に買い物に出かけると、繁華街の喫茶店に「テレビ放送中」の貼り紙のあったのを覚えている。ただ、ボクの父はテレビマンだったので、比較的早い時期に我が家にはテレビがやって来た。まあ、父も随分と無理をしたのであろう。受像機にはレースの覆いかけられ、上には陶器製の犬(ニッパーくんである)が置かれていたのを覚えている。テレビとはそれほど大切な家具であった。
 テレビで何を観たのか、時系列に思い出そうとしても既に何も覚えてはいない。「番頭はんと丁稚どん」や「スチャラカ社員」「お笑い三人組」なども好きだったが、「私の秘密」や「日真名氏飛び出す」を欠かさず観ていた記憶があるので、我が家には随分と早い時期からテレビがあったことになる。また洋モノは花盛りで「名犬リンチンチン」「アイラブルーシー」「アニーよ銃をとれ」「ヒッチコック劇場」「名犬ラッシー」「パパは何でも知っている」「ローンレンジャー」など、初期のテレビ界を代表する伝説の番組はたいてい観た。だが、1958年/昭和33年10月31日にKRT(現TBS)で放送された「私は貝になりたい」が、ボクの心には最も印象に残っている。フランキー堺が熱演したC級戦犯として絞首台に昇る名も無き元兵士の物語は、人の世の不条理、戦争の理不尽さを描いて子供心にも切なく悲しかった。未だ戦後の暗い記憶が世情に残されていた時代背景では、人気タレントが坊主頭になったことのほうが話題をさらうような単なる歴史ドラマとは受け取り側の認識が違った。テレビ界が未だ視聴率よりも良識を重んじていた時代の記憶である。
 昭和30年代はモノクロテレビの黄金時代であった。輸入TV番組は「ガンスモーク」「ローハイド」「ベンケーシー」「ララミー牧場」「サンセット77」「アンタッチャブル」など、綺羅星のごとき傑作が居並んでいた。いずれもメガヒットとなって、当時の世相を象徴する代名詞として現在も語り継がれている。今もどの番組のオープニングテーマでも口ずさむことのできる昔少年は多いだろう。なにしろボクたちはこれらの番組に夢中だった。学校ではデュークエイセスの真似をして上履きの底を叩き合わせたり、黒板にチョークで♂♀*+∞と書いては「男、女、誕生、死亡、無限」と日本語のナレーションを口真似したりするのが流行った。もちろん洋モノばかりではなかった。「七人の刑事」のような渋い社会派ドラマにも夢中になった。今は無きあの威圧的な警視庁を背景に、流れるハミングのオープニングテーマは真似るにはちと難し過ぎたが。余りこうした番組ばかりを列挙すると子供らしからぬ印象を与えてしまうやもしれぬが、「少年探偵団」「てなもんや三度笠」「ジェスチャー」「おとなの漫画」「シャボン玉ホリデー」などなど、テレビ草創期の名作傑作はおしなべて好きだった。学校で「あたり前田のクラッカー!」と無邪気に叫ぶ子供が目立った頃のことである。
 少年雑誌は戦記ブームをもたらしたが、新たなお茶の間文化のテレビは西部劇をブームに仕立てあげた。ウィリアムテル序曲の勇ましいファンファーレで幕を開けるローンレンジャーはその先駆けだったろう。アメリカンコミックが原作の荒唐無稽なヒーローもので、勧善懲悪の分かりやすいストーリーは子供受けした。劇中で使われる「ハイヨー、シルバー!」「キモサベ」「インディアン嘘つかない」のフレーズは、今で言うなら流行語大賞を総ざらいするほどに、大人から子供まで誰もが口にする流行語となって一世を風靡した。
 しかしボクたちを最も魅了したのは何と言ってもローハイドとララミー牧場であったろう。ローハイドではのちにダーティハリーで有名になる、と言うよりはボクたちの世代ではマカロニウェスタンでスターダムへと伸し上がったクリント・イーストウッドの若き日の姿が人気を博した。男臭いフェイバー隊長もイカしていたが、ダンディでクールなイーストウッド演ずるロディは掛け値なしにカッコ良かった。何にでも感化されてしまうボクたちだったが、いつも食べている豆料理だけは旨そうには思えず、カウボーイって辛いんだなあ、などと呑気なことも考えていた。それでもフランキー・レインが歌う主題歌"♪ローレンローレンローレン、ヤアーッ!"の歌声も高らかに、畑のあぜ道の大荒野を旅するボクたちだった。
 ララミー牧場はローハイドに較べるとアットホームな西部劇だったが、ジェス・ハーパーを演じるロバート・フラーが国民的スターへと昇り詰め、世の女性ファンを虜にするという社会現象まで引き起こした超人気番組であった。ララミー牧場は視聴率50%を超えた怪物番組となったが、ジェス観たさの女性たちとは違って、西部劇にぞっこんのボクたちはそれ以外の番組にも夢中でチャンネルを合わせたのだった。スティーブ・マッキーンの拳銃無宿は最高の西部劇だったろう。賞金稼ぎのジョッシュ・ランダルは、のちのタフでシャイで少年のような一面も覗かせるマッキーンの魅力に既に溢れていた。劇中で使用されるウィンチェスター92を短く切ったランダル銃もたまらなくカッコ良かった。当時、ランダル銃のトイガンが売られていて、ボクは喉から手が出るほど欲しかった。今にして思えばベークライト製か何かのチャチな「お子さまサイズ」ガンだったろう。子供時代の憧れはえてして美化されるものである。
 やはりウィンチェスターを自在に操るチャック・コナーズがクールだったライフルマン、西部劇の王道を思わせたガンスモーク、ホームドラマ型のボナンザなどなど、まさに西部劇は百花繚乱、花盛りであった。とりわけボクのお気に入りはタイトロープだったろうか。主人公のタイ・ハーディンは最高にイカしていた。
 かくして西部劇の洗礼を受けたボクたちは、今風に言えばスキヤキウェスタン小僧と化し、隣近所が構成する宿場町、家の裏手に拡がる畑の大原野、サロンという名の駄菓子屋、コヨーテとおぼしき野良犬が創り出す大西部を闊歩するガンマンとなった。時にはビニール製のガンベルトとホルスターを腰に下げ、愛用のダイキャスト製コルトを片手に。更にこっ恥ずかしいことにはブリキの星形保安官バッヂをセーターの胸につけるという念の入れようで。ちょっと前までは玩具の刀や棒切れで「ちゃんちゃんばらばら」に熱中していたというのに...何という変わり身の早さか。しかし、いつの世もそれが子供というものだ。それでも僅かな年代の違いなのか、駄菓子屋サングラスに風呂敷マントの「恥ずかしさマックス」な格好だけはしなくて幸いであった。とは言え「似たり寄ったり」ではある...。

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プロフィール

平野克己(ひらの・かつみ)

MC誌の最前線を長うお准将に託し現在はフリーランスの予備役として活動中。湘南鎌倉で猫的スローライフを提唱しつつ、国産プラモデル史の編纂に尽力する日々を送る。永年飼ったコブラ427S/Cを手放しMC(Motorcycle…Modelcarsではありませぬ)復帰を密かに目論む。自称昭和プラモ小僧の60歳。座右の銘は心情溢るゝ軽薄さ。

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