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2013年1月22日

昭和のプラモ歳時記「プラモ小僧走る―回想―」其の28

 桜並木の天野屋と決別したボクは、昭和40年代へ向けて新たな文化的生活を手中にすることとなった。いわゆる団地族と呼ばれたボクたちの生活そのものが一変した。総菜などの買い物はそれまでのように桜並木の個人商店街ではなく、団地内のスーパーで済ませるようになった。スーパーと言っても個人商店が一カ所に寄り集まった古い形態で、肉屋、八百屋など日常的に必要な買い物がそこに行けばおおよそ揃う、というだけのことである。その中に何を商っていた店舗かは忘れてしまったのだが、プラモデルを置いている店があった。そこでの記憶はニチモ1/35AMX30中戦車が永く置かれていて、欲しくてたまらなかったことだけなので、恐らく余りそこでプラモデルを買ったことはなかったのだろうと思う。AMX30は当時、タミヤと共作となったのだが、確かニチモのキットにはビニールか何かの布状パーツの防循カバーが付属していて、そこに妙に魅せられていた記憶がある。いずれにしても1967年のことだがら、この記憶は随分とあとのことでしかない。
 ボクが新たに通うようになったプラモデル店は団地から5分ほど走った街道筋にあった。プラモデル店といっても本業はパン屋であり菓子屋であり、併せて手芸用品なども取り扱う雑貨店であった。そこで多少のプラモデルも扱われていたのだ。時は1964年/昭和39年、日本中が東京オリンピックに沸きに沸いていた時代であったが、東京近郊他県の片隅で暮らすボクにとっては特別実感するものもなく、ただ淡々とした日々が繰り返されていたように思う。しかし、東京プラモのミリオンシリーズが店頭にやって来たことで、ボクの中での東京オリンピックは俄然実像を結ぶようになる。キットにボーナスパーツとして東京オリンピック記念メダルが入っているのである。今にして思えば何とも貧相なメダルであったが、当時はこのメダルが欲しくて欲しくて辛抱たまらんものがあったのだ。金メッキ、銀メッキ、銅メッキの三種があり、しかも競技種目もバリエーションがあったので、その全貌は一体何種類あるのか見当もつかなかった。これらがランダムに付属しているのである。欲しい機種のキットであっても「銅メダル」が入っていたりして、金メダル欲しさにへなちょこな機種を買ってしまうなど、まんまとメーカーの思惑にのせられてしまうボクなのであった。とはいえ50円なのでそうそう頻繁に買うことも叶わず、あれこれ思い悩んでいるうちにそのシリーズそのものが店頭から姿を消してしまった。それでもスカイレーダー(複座型だったのが物珍しく嬉しかった)やモスキート、デファイアント、ハンプデンなど、駄菓子屋系プラモでは珍しい機種がキット化されていて今も印象深く残っている。
 続いて入れ込んだのが童友社のミニチュア鉄道シリーズであった。スケールはおよそNゲージ相当でやはり50円であった。このキットには繋げられるレールが一本ずつ付属していて、いかにも買い足して大きなレイアウトを完成させて遊ぼう!!的な甘い罠が仕込まれており、ボクはまたもやまんまとその術中に落ちた。特急メラード号がどこのどんなSLなのかも知らずに買い、話題の東海道新幹線ひかり号は人気でいつも売り切れなので、仕方なく連結用の客車を買い...夢ばかり脹らんでどうにも半端な鉄道模型コレクションで終わったのが実際のところであった。
 プラモデル専門店とは異なって、近所の「ついでにプラモデルも置いている」的な店では、1回仕入れたらそれっきりで、再入荷など望めないのが当時の実情であった。なので今で言うところの「大人買い」でもしない限り、あれもこれもと期待ばかりが脹らみ、結果はいつも何も果たせぬままに挫折するのが常であったのだ。恐らくは当時のプラモ少年たちの誰もがそうした「果たせぬ夢」を抱いたままに大人になったに違いない。昔のプラモデルへの熱き思いの裏側にはそうした怨念と無念が隠されている。

投稿者 平野克巳 : 2013年1月22日 15:27

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