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2014年4月 3日

桜咲く里で人は何想う

 見渡す限りを薄紅色に染めて、桜は匂い立つばかりに咲き誇る。その静寂だが圧倒的な生の息吹きは、人の情念をも全て吸い取ってしまうかの如きだ。昔、何かで「桜の木の下には屍体が埋まっているのだよ」という文章を読んだことがある。荒俣 宏の帝都物語でも興廃した帝都に桜が咲き誇るという象徴的な光景が描かれていた。いにしえより桜は「弔い花」なのだとも言われている。だから古い寺社の境内には桜の古木が多いのか。靖国神社の桜などはその典型であろう。私はそうした意味合いをかねてより感じつつ桜の花を愛してきた。だから桜の木の下で呑気に酒盛りなどする気にはなれない。ただ人生の儚さと美しさばかりを投影して、小さな花弁に畏怖の念を感じるばかりである。だから桜は美しい。
 Facebookでは詳細を書いたが30年以上連れ添った妻が、心臓の大手術を受けた。一時は心臓停止するなどかなり深刻な状態が続いたのだが、再度手術をしてペースメーカーを埋め込むことで無事に生還し、ようやく退院の運びとなった。時はあたかも桜満開のただ中で、病院から出たそのアシで桜並木の下を走り、例年どおりの花見をすることができた。いっときはもう二度と妻との花見は叶わないのやもしれぬと覚悟したのだ。生気の失せた白い頬を桜の薄紅色が染め、妻がようやく微かな笑みを浮かべる。この数年はいつも「来年も桜が見られるだろうか」「いつまで桜を見ることができるだろうか」と語り合ってきた。なので「今年も見られたね。来年もきっと見られるよね」の言葉には切実な響きが感じられた。来年、また一年と残された僅かな日々を大切に慈しんで生きねばならない。生まれたその日から始まったカウントダウンも、もはや佳境を迎えていることを改めて実感する。死というものと真剣に真摯に向かい合えない者は、精一杯の充実した生ともまた向かい合えない。私はそう考えている。風に揺れる満開の桜たちが「お前たちは未だ来てはいけない」そう囁く。許された生を私は慈しむように包むように抱く。春風が心の中を吹き抜けて行く。

投稿者 平野克巳 : 2014年4月 3日 01:05

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