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2014年4月15日

それが私の生き方

 いち日の大半を移ろう季節も過ぎ行く時も曖昧で緩慢な、薄暗く間接照明に照らされた空間のもとで過ごす。そして来る日も来る日もいち日およそ50部屋近くのルームクリーニングとセットアップを繰り返す。それが今の私の仕事である。見知らぬ男女の愛の手助け、などと青臭い綺麗ごとなどは言うまい。牡と牝の本能の欲望が交差する場所、私の仕事はその後始末に過ぎない。仄暗く息の詰まるような部屋の窓を開け放つ刹那、押し寄せるようにして流れ込んで来る春の息吹きに、いっとき目眩のような眩しさを覚えてたじろぐ。柔らかく温かな光、澄み渡る風、蒼葉の輝き、遠い人の営みの喧騒、それらが洪水のようにして私の頬を洗う。そうした全てを深く深く深呼吸して、薄汚れた両の肺を静謐な空気で充たす。ああ、今を生きている、そう実感するのはそんな一瞬だ。
 バイクを降りコブラを手放し、愛しき猫を失い、そして何よりも人生の大半を捧げて来た仕事までも失おうとしている今、私に残されているものは何だろう。いや、別に少々厭世的にはなるものの、特段絶望感に苛まれることも挫折感に打ち拉がれることもないが、流石に自らの生き様の有りように気落ちするのは否めない。人間60にして生まれ変わり、新たな人生を歩まねばならない、とは神代の昔より語られることだが、だとしたら少なからず哀しい新たな人生の第一歩ではある。勿論、自分ばかりが哀しい境遇を強いられている、などと世間を拗ねるようなつもりはない。世の中、もっとずっと不幸で哀しく寂しい人々も多かろう。我が友人曰く「生きてるだけでめっけもん」なのだろう。だがその生存の権利も今や甚だ怪しいところまで来てしまっている。これから先、どれだけ日々を安穏として過ごしていられるのかは分からない。生活の諸々な不安定要素ばかりが頭をよぎる。コンビニのサラダを箸で突っ突きながら、焼酎ハイボールを流し込む。350mℓひと缶あれば沢山である。酔わないまでも、蓄積した疲労がふわりと和らぎ、心も身体も少しだけの安らぎを得る。それだけが救いだ。幸いにも相方は命を拾った。だから私も未だ全てにおいて諦める訳にはいかない。心の涙は塞き止めておき、これからも軽妙洒脱に生きて行く。それが私の生き方なのだから。

投稿者 平野克巳 : 2014年4月15日 23:09

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