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2014年8月29日

やさぐれ晩夏の子守唄

 日々の生活が荒んでいる。胸の中にすきま風が吹き、心が錆びる。鬱々とした気持ちを抱えていると感受性も鈍感になるようだ。嘘寒い鉛色の空に侘しさも覚えない。まるで冬のような風景の中、それでもセミが精一杯鳴いている。あたかも行く夏を惜しむように、己の命を慈しむように。霧雨を浴びながら庭に佇む。派手に枝を伐採してしまい、小さな佇まいになってしまった梅の木にセミの抜け殻がいくつも残されていた。小さな命たちの残滓。今年の夏を生きたささやかな命の証明だ。
 そんな命のひとつに過ぎない私自身も、随分と歳を取ってしまった。日々の薬が無くては生きていかれぬし、身体のそこかしこに不具合が生じて鬱陶しい事この上ない。それでも私を置き去りにして逝ってしまう多くの友人たちに較べれば、呑気で長閑なのであろう。最近は彼らとの日々を思い出すことさえ無くなってしまった。時が残酷なのか、忘却こそが人の生存本能なのか、そんな事を考えるのさえ億劫になった。ただ、つまらぬ日々を積み重ねるだけで、人生の終焉の時を迎える気にはなれそうにない。未だ煩悩にまみれた俗人である。ただ、そうした己の不甲斐無い姿が「哀れなことよ」と嘆くだけの見識は残されているようだ。
 人伝に「平野さんに会いてーなぁ」と言ってくれている友人が居ると聞く。年老いた母を持ち、その介護の為にだけ働いているような男である。歳は私より幾つかだけ若い。彼の事は時々、頭をよぎる。近くに居ながら互いに仕事に追われて、会う機会も無い。安酒を酌み交わしながら、愚痴の言い合いでもしたいと思うが、それも中々まま成らない。要領が悪く馬鹿正直で愚直にしか生きられないゆえに、恵まれた人生ではない。そんな彼に似た者どおしのような不思議な連帯感を感じている。不器用で巧い立ち回りが出来ない。それでも社会に拗ねるでもなく誰かを恨むでもなく、ただ淡々と社会の底辺で暮らしている。私は彼が好きだ。心根の優しい男なのだ。人の嫌がる事は何でも引き受けてしまうような、馬鹿がつくほどに真っ正直で優しい男なのだ。そんな男が私を時々は思い出し懐かしがってくれているのかと思うと、少しだけ心の澱が溶けていく。しかし、そんな男たちを許容するほどには現代社会は優しくない。社会から弾き出され置き去りにされるばかりである。仕方ねーよなあ、そんな生き方しか出来ねぇんだから、と自嘲気味に呟くばかりだ。「そめーっっ!! 飲もうぜーっっ」心の中で独り叫んでみる。

投稿者 平野克巳 : 2014年8月29日 18:28

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