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天は我を見放した...

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 地球規模で温暖化による天変地異が顕著になり始めている。日本でもご承知のとおり、先日記録的な大雪となり、多くの方々が難儀されたことと思う。かくいう私も普段は縁の無い路線の電車やバス、しかも運行している路線限定であるから、とてつもなく大回りなどしつつ苦心惨憺して通勤した。それでも公共交通機関が使用出来るのは通勤行程の一部にしか過ぎないので、横殴りの吹雪の中を青森歩兵第五聯隊と化してただひたすら歩いた。なにしろ職場は年中無休、24時間営業なので、簡単には休めない。私の職場は辺鄙な場所に在るので、自家用車通勤が許されており、僅かでしかないがガソリン代も支給される。従業員用駐車場も確保されていて、無償で使用することが出来る。それだけにクルマが使用出来なくなると、とてつもなく不便な陸の孤島と化してしまい、通勤の往復は難行苦行となってしまう訳だ。
 それでも大雪の初日の夜、帰宅に際しては同僚のTさんにクルマで送って貰った。私よりは若いとはいえ、ぶっちゃけ「おばはん」なのだが、いつも元気でバイタリティーに溢れている。「ノー天気なだけ。いつも元気なだけが取り柄だよ」と屈託なく笑うが、あの大雪にも動ぜず、「スタッドレスタイヤ履いてるからだいじょぶだよ」と恐れを知らない。横滑りさせながらキャーキャーとはしゃいでいる。何とも気丈夫である。実に明るいのである。世の中にはどこにでもこういうひとが必ず居て、多くのひとが有形無形の恩恵にあずかっている。こうしたひとの存在は誠にありがたい。いや、便利だとか重宝だとか言うのでなく、こうしたひとが居てくれるおかげで人間関係も円滑にいく。組織というものを支えているのはこうしたひとなのだと改めて実感している。
 思えば私は随分と沢山のひとに支えられ助けられて、今日までやって来た。偉そうに蘊蓄を傾けられるのも、実はそうした人々の手助けあってこそである。今では編集長という権威(があったか否かは甚だ怪しいが...)も無く、ライターとしての確たる地位もあやふやになってしまった私だが、それでも見返りを求めることもなく快く手を差し伸べてくれる友人知人が居る。○○持ってない?と勝手気侭に問い合わせれば「今日送っといたよ〜」とさらっと即答で返してくれるK氏、デカール作ってと頼むと、嫌な顔ひとつせず「急いでる?」と自分の仕事よりこちらの都合を心配してくれるM氏、その他にも沢山沢山、人様のお世話にばかりなっている。それでもそうした温情に対しては「良き記事を書いて」お返しをするという不文律が守られていた間は良かったのだが、昨今はそれも侭ならなくなって来た。社会は一層活字離れが進み、印刷媒体はもはや死滅のふちにまで追いやられている。モデルカーズ誌も経営母体が刷新されて以降、変革の波に飲み込まれ、今や基本コンセプトに至るまでの変更が余儀なくされ始めたようだ。現在では外部のいちライターに過ぎない私なので、その実態や詳細に至るまでは知りようもないが、相変わらず「プラモデルを愛してやまず」などと拘り続けている私のような存在は、遅かれ早かれ太古の遺物としてお役御免になりそうな気配である。未だ`60年代のプラモデルにしてもスロットカーにしても記録して残しておきたいことが沢山残されている。だが、いち個人の力では手に余る。相変わらず遅々として進まない。ひとつひとつ地道に進めてはいるのだが、年齢的にも状況的にも先が見えてしまったような気がして寂しい限りである。それでもせめて吹雪の八甲田山に倒れる直前までは、ひとつでも頑張って進めて行きたいと心に誓っている。それが様々に手を差し伸べてくれた方々へのせめてもの返礼であり償いであろうと思う。その最後の日までは明るく元気でプラモデルと接していられることを願う。

「新年明けましておめでとうございます」

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 西暦2014年の幕が開けた。平成となってはや26年、常々拘り続けて来た昭和は増々遠くなったということだ。例年のことではあるが私に正月気分などない。年末も年始もほぼ休みなく仕事であるからだ。その私が今年は珍しく3日に休日を貰った。そこで家内と娘夫婦と鶴岡八幡宮に初詣に行った。昔ほどの人出はなく、ロープ規制はあるものの、殆ど待つこともなくすんなりと上宮へと行かれたのには拍子抜けであった。幼少時代からずっと慣例になっている娘(もう28だ...)にいちご飴を今年も買ってやり、絵馬付きの破魔矢をいただくと、その年一年が始まった気分となる。境内ではかつての同僚たちの鶴代紋の半纏姿が散見されるが、私がそれを着ることももうない。顔見知りの巫女さんなどと挨拶を交わし、一年分だけ爺さんになったかつての同僚と肩叩き合って、参拝客気分のままに境内をあとにした。
 31日に愛猫ジェムを失って、実のところ私としては喪中であるので、余り「めでたい」という浮かれた気分にもなれない。酒を飲む気にもならず、おせちに舌鼓をうつ気分では更々なく(第一、我が家では正月の支度などしていない...)、ただ淡々と休日の残りを過ごした。夕方になり、お願いしていた葬儀社がやって来て、ジェムは生涯の殆どを過ごした現在の我が家から旅立って行った。段ボール製とはいえ、それなりに立派な棺に納められ、数儀社が用意してくれた弔い花を、私、家内、娘、娘の婿さんで棺に納め、猫を愛した家族たちに静かに見送られてお別れをした。ジェムのことが大好きだった風ちゃんも最後のお別れを済ませ、ジェムは22年の思い出だけを残して永遠に私の元を去って行った。空虚な気分だけが残ったものの、また明日から忙しく働かねばならぬことに安堵し感謝した。明日もこの家の中でただ独り過ごすのであったら、取り残されたような寂しさと哀しさで、何ひとつ手がつかぬに違いない。忘却こそが生きるという上での最大の防御本能なのだ。さようなら、本当にさようなら、私の一番愛した猫。

ついにこの日を迎えました

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 愛猫ジェムが逝った。まさに一年の最後たる大晦日の早朝、家内の腕に抱かれて静かに息をひきとった。1991年生まれであるから、享年22歳の大往生である。当該ブログを古くから閲覧して下さっている方、またモデルカーズを初期からご愛読下さっていた方なら、ジェムという猫の存在は多少なりともご記憶下さっているかもしれない。シャム猫のミックスで、仕事先の友人である静岡は焼津のワラシナ自動車(現ワラシナカーズ)の部品倉庫で生を受け、たまたま遊びに伺っていた時に発見されて私が貰い受けた。ジェムの名の由来はショールームのミニジェムの上でミーミー鳴いていたからである。以後、ずっと我が家で生活を共にして来た猫である。22年の間には様々な思い出が残されている。三度にわたる引っ越しや今ではそれぞれが独り立ちしていった子供たちの成長、多くの友人や仲間との出会いや別れ、そして何よりも私の仕事の栄華盛衰、それは沢山の移り変わりを共に過ごして来た。私が猫と暮らすようになる切っ掛けを作った最初の猫であり、私の最も愛した猫であった。
 街の喧騒とは無縁の大晦日の今日、私は独り静かにジェムとの日々を振り返っては噛み締めている。手のひらに乗るほどに小さかった幼少時代。一晩中炬燵で暖めて、二時間おきにオモチャの哺乳瓶でミルクを飲ませたこと。排便も排尿もどうしても巧くさせてやれず、お腹がパンパンに膨れ上がってしまい、半泣きになって動物病院に駆け込んだ夜中。獣医師の勧めで毎日野菜のお粥を煮ては食べさせた幼少期。私が出かけようとすると、玄関で「行くな」といつまでも鳴いていた若い頃。写真家の浅井慎平氏に写真を撮っていただいた壮年期。猫が居ることで泊まりの家族旅行など一度も行かれなかったが、それでも子供たち皆に愛されたジェム。あのこやキャルに先立たれても、ずっと我が家の家長猫として君臨し続けたジェム。ミックスとはいえシャムの血統ゆえに気高く、人や他の猫におもねる態度など一切見せなかったジェム。それでも私とだけはいつもアイコンタクトをしてくれて、決して目を逸らすことのなかったジェム。ペットフードよりも人の食べ物が好きで、アイスや生クリームには目のなかったジェム。完全に足腰が立たなくなり寝たきりとなってしまった死の数日前まで、私の帰宅を玄関で迎えてくれることを欠かさなかったジェム。それこそ飛ぶように階段を駆け上り駆け下りた若い頃から、這いずるように大儀そうな最後の最後までジェムのお出迎えは続いた。もう帰宅してもあの姿も声もない。
 小さな儚い命だが大きな存在であり、私にとってその喪失感は計り知れぬほどに大きい。命を見送ることは余りにも哀しく寂しいものだ。私はこれまでに多くの友人や猫を見送った。そして、いつか今度は私が見送られる番となる。この世に永遠などなく、ましてや不滅の命などない。だから人生は美しく愛おしい。

プロフィール

平野克己(ひらの・かつみ)

MC誌の最前線を長うお准将に託し現在はフリーランスの予備役として活動中。湘南鎌倉で猫的スローライフを提唱しつつ、国産プラモデル史の編纂に尽力する日々を送る。永年飼ったコブラ427S/Cを手放しMC(Motorcycle…Modelcarsではありませぬ)復帰を密かに目論む。自称昭和プラモ小僧の60歳。座右の銘は心情溢るゝ軽薄さ。

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