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旧い映画を観た午後には

 近年はとんと映画から遠ざかってしまった。だが20代後半ほどまでは映画漬けの日々であった。多分、高校生の頃が最も多く観ていたろう。学校は品川にあったが、土曜日は学生服のまま有楽町に直行したし、日曜日には三本のロードショーをハシゴするのが普通であった。ワタシの記憶が確かなら人生最初に感銘を受けた映画は「空飛ぶ戦闘艦」MASTER OF THE WORLD/1961年である。SFマニアならピンと来るであろうが、かのジュール・ヴェルヌ原作の映画化である。さすれば半世紀以上も映画を観てきた計算になる訳だが、ボクが最も影響を受けたのは`70年代のアメリカン・ニューシネマであった。「ディア・ハンター」から立ち直るのに一週間もかかった頃である。とりわけ「イージー・ライダー」に傾倒したことは以前も書いたが、腕時計を道端に捨てて旅立つシーンは最も象徴的で憧れたものだった。あのように生きたいと思った。だが世のしがらみとはそんな夢物語とは無縁で厳しいものである。
 振り返れば想い出の映画は沢山ある。かつて「黄昏」は娘の立場で観たが、今は老いた父親に自分を重ねてしまう。「ワンス・アポンナ・タイム・イン・アメリカ」では少年時代の酸味を伴う記憶と佳き時代への郷愁を思った。「ニューシネマ・パラダイス」には帰り来らぬ過ぎ去った若き日々への切なさ、哀しさに涙した。そして、久し振りに「真夜中のカウボーイ」を観た。もはやアメリカでも日本でも地域差みたいなものは無くなってしまったので、現代ではピンと来ないのだろうが、あの時代を経験して来たボクにとっては痛く理解できる。テキサスの若者が夢と野望を抱いてニューヨークへとやって来るのだが、現実の中で挫折し絶望してゆく物語だ。最後は都会の孤独の中で出会った友人の為にフロリダへと迎うが、パラダイスを夢見た友人はバスの中で病死してしまう。劇中に流れるジョン・バリーによるハーモニカのテーマ曲(奏者はトゥーツ・シールマンス)の哀愁を漂う調べが、都会の中で現実の厳しさに叩きのめされてゆく若者の切なさを助長して心がきゅんと締め付けられる。嗚呼、誰もが人生とはこうしたものと感じながら生きるのだと改めて痛感し、寂しさ切なさ口惜しさに心が震えた。そんな午後を過ごした。今はとても模型を手掛けられそうにもない。模型には気力と体力が必要だ。かつてボクは「模型はスポーツ」と提唱した張本人である。フロリダ行きのバスに乗らねば。でもマイアミを直前にして気力、体力が尽きてしまいそうだ...。

ケセラセラ

 ボクは余りにも多くの友人たちの夭折を見送った。それはボク自身の生き様にも大きな影響を与えた。縁起でもないと仰られるかもしれぬが、齢60を迎えた時から終活、つまり身辺整理というか幕引きの為の準備を心掛けている。ボクは老後の楽しみとか第二の人生などといったものは無いと考える人間なので、自分の好きな仕事が出来なくなったら、それでボクの人生は事実上終わったに等しいと考えている。今せっせとアルバイトに勤しむのは単に住宅ローンと生活費の為だけである。それも人生でしょ、と仰られる向きもあろうが、その社会的事実とボクの内面心情とには大きな隔たりがあるのもまた事実なのである。なので生き甲斐とか充足感、楽しみや喜びというところとは、ちょっと違った次元で日々を過ごしている気がしている。
 朝、通勤の為にクルマに乗る。ボクは元々クルマに乗って音楽を聴いたり映像を観る習慣がない。ラジオさえ聞いたことがない。装備されているBOSEのオーディオシステムなぞ、ボクにとっては無用の長物である。ボクはコクピットに納まったらメカニカルノートを聞いていたい人間である。だが、現在の愛車はそんな魅力も正直持ち合せてはいない。なので無機質な連続音にしか聞こえぬエンジン音や車体の軋みの中、ボクはただ何かを考え続けながら運転している。かつて家内が若く子供たちも幼かった頃の生活圏を通る度、ぼんやりと昔の日々を郷愁と共に回想する。生きるのに必死だったけれども、それなりに楽しい日々であった。今は子供たちも皆巣立って立派に生きてくれている。家内は生死を彷徨う大病を患い、今は高齢のこともあって決して健やかではなくなった。老夫婦の寂しい家庭である。まあ世の中そんなものだ、自分だけが愚痴って何になる、そんな思いで日々に耐えている。そして思う。嗚呼、今日も忙しく一日を消化する。そうして気付かぬうちに人生は過ぎ去ってしまうのだなと。侘しく切なくなる。なるがそれもまた現実を生きるということなのだろう。だが一日刻みの休むことのないカウントダウンを思うと、たまらなく侘しく切ない。だから一日を無為に過ごすのはたまらなく残念に思う。今出来ることは今やっておかねばならない。そんな焦燥感ばかりがボクを突き動かす。だが思いは大概叶わない。それもまた人生。人生はケセラセラ。

ささやかな幸せ

 仕事から帰る道すがら、クルマのフロントグラス越しに花火を見た。ああ、忘れていたけれど、今日は江ノ島の花火大会だった。近頃は真夏ではなく空気が澄んで引き潮になる秋口にやるようになったのだな。音も聞こえず遥かに遠くの花火だけれど、今年始めて見る花火であった。ほんの少しだけ幸せ。
 職場の近くに小さな自動車ワークショップがある。ホンダN360やホンダZ、フロンテクーペ、バモスホンダなどがよく入場している。そうした車種からも"そうした類いのショップ"であることは概ね想像できる...まあ、ボクはサブロクの軽が今でも大好きではあるけれども...。そこで今朝、TVRを見た。ちらっと後ろ姿を垣間見ただけなので、それがタスカンなのかグランチュラなのか、はたまたビクセンなのかグリフィスなのか、それは判らない。大体ボクはこの時代のTVRに詳しくはない。ともかくレストアからあがって来たばかりらしい"バリもん"であった。ほんの少しだけ幸せ。
 ちょっと前からパソコンのシステムが不調をかこっている。メールは不通になり、サファリやクロームも動画や音源が再生できない。嗚呼、あの頃はワープロで仕事をし、時々テレビを観ては気晴らしをしたのだな、などと回想している。なので静かな夜を過ごしている。そんな日々を倅や娘が心配してくれ、色々とサジェスチョンを授けてくれている。ほんの少しだけ幸せ。
 我が家の新たな家族となった仔猫の"すず"ちゃんは、野生の血がたぎる凶暴なる「噛みネコ」であるのだが、最近になってボクの帰宅を玄関で出迎えてくれるようになった。未だ「にゃあ」ではなく「ぴぃ」みたいな鳴き声なのだが、ボクの呼びかけにぴぃと鳴いて、おかえりおかえりしてくれる。ほんの少しだけ幸せ。

プロフィール

平野克己(ひらの・かつみ)

MC誌の最前線を長うお准将に託し現在はフリーランスの予備役として活動中。湘南鎌倉で猫的スローライフを提唱しつつ、国産プラモデル史の編纂に尽力する日々を送る。永年飼ったコブラ427S/Cを手放しMC(Motorcycle…Modelcarsではありませぬ)復帰を密かに目論む。自称昭和プラモ小僧の60歳。座右の銘は心情溢るゝ軽薄さ。

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