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春の訪れを待ちわびて...

 我が家に2匹のみ残っていたネコの1匹、風ちゃんが死んだ。桜が開花しようかという3月23日の夕刻のことであった。死因は分からないが突然死であった。朝はいつもどおり元気で居たのに、帰宅するともうその命はなく、ほのかに体温の残る骸と化していた。三毛のミックスで今年の9月には10歳になる筈だった。いかにも女の子らしくしぐさの愛くるしい、鳴き声の可愛いネコであった。甘えん坊で寂しがりやで、いつも妻の膝に乗り、すがるように胸にかじり付いているようなネコであった。少し哀愁を帯びたような、それでいてきょとんとした眼差しが愛しいネコであった。桃色の肉球が可愛らしいネコであった。夜は私の足元でいつも眠るネコであった。今夜からはもうネコの重さを感じることなく、伸び伸びと足を伸ばして寝られるのだと思うと切なくて哀しい。突然逝ってしまった9歳の小さな命。その9年をどう捉えたら良いのか、ただ胸の空洞を風が吹き抜けるばかりだ。9年もの間を共に暮らしたのだと思うべきなのか、たった9年しか一緒に過ごせなかったと考えるべきなのか、ときの移ろいの不思議さに、ただただ狼狽えている。こんなことばかりが続き、そうした事柄ばかりを書いているので、奴は鬱なのではないかとご不審に思われるかもしれぬが、決してそうではない。ただ人生の儚さ、虚無の哀しさに打ち拉がれているだけなのだ。まもなく桜が咲く。今年は愛しい風ちゃんの弔い花となるだろう。お別れの朝、段ボールの棺に納められ、黒いバンで去って行く後ろ姿を見送った。初めて号泣した。風のように逝ってしまったふうちゃん。ふうちゃん、ふうちゃん...。P1210011.jpg

一期一会

「人生は一度きり」、使い古された、ありきたりな言葉だ。だが人生の根幹を成しており真理であろうかと思う。だからずっと「しなかったことへの後悔」よりも「してしまったことへの後悔」を優先して生きてきたつもりだ。そして、その時その時のチャンスというものも見過ごさぬよう、大切に扱ってきたつもりだ。物事なにごとにおいても好機というものがある。適時と言っても良いかもしれぬ。だが人は往々にしてそれに気付かず、あるいは気付いていても臆病になって二の足を踏んだり、自分をより高く売ろうと出し惜しみしたりしてスルーしてしまう。また今度、この次で良い、などと自身を納得させながら。しかし、同じチャンスは二度とない。その時掴めなかったものは、永遠に掴むことが叶わない。仕事においても恋愛においても、その他森羅万象全ての事象においてもだ。今日一日を大切に生きる、その時その時を慈しんで生きる、とは、そうしたことへの戒めなのだろう。ボクはこれから先、それほど多くは生きないだろう。その人の宗教観によって考え方は様々なのだろうが、生まれ変わり、輪廻転生などという思考はボクにはない。人生は一度きり、そう思って生きている。だからボクという感性を感じていられる間だけは、自分に正直で素直で居たいと願っている。好きな人には好きだと率直に伝えるようにしている。好きな仕事は慈しみ、どこまでも愛そうと思っている。それが先方に伝わらないこともあるが、それはそれで相手方の問題と都合もあるので致し方ないと、無念や未練など残さずその場であきらめるように心掛けている。一度言って伝わらないならそこまでのこと、二度とは言うまいと思っている。もうボクにはあれこれ回り道や道草をしている時間はないのだ。自分の人生を愛しいものと思えるためにも、何事にも全力でぶつかろうと日々努力している(つもりだ...) しかし、そうした生き様はある意味、直情的であって、相手側にとっては迷惑であったりもするだろう。無分別ゆえに失敗することも多いに違いない。しかし、それがボクという人間なのだから仕方ない。最近ではそう開き直ることにしている。人生失敗してナンボ、などとは言わないけれど、それを畏れて「何もせずに終わってしまう」人間には成りたくはないのだ。行け〜オレ〜っ!!(もう殆どヤケクソだな...)

Nightbirds

 職場の同僚の携帯着メロを聴いて、ふと懐かしさがこみ上げた。それはShakatakのNightbirds、記憶が正しければ`80年代初頭のスムースジャズだ。ここのところ毎晩のようにパソコンに向いながらShakatakを聴いている。アップテンポな、ある意味ダンスナンバーのようでもあるのだが、妙に郷愁を誘い、過ぎ去った昔を懐かしく思い出す。何故、あの頃はあれほど夜の都会が楽しかったのだろう。何故、あれほど人口の光の洪水のただ中で高揚したのだろう。もはや帰り来らぬ若き日々、あれらの日々は何だったのか。クルマで20分の職場と自宅の間だけを往復し続ける最近では、あの遠い記憶の彼方に在った時間が夢か幻のようにしか思えない。別にボクがCityboyだったなどと言うつもりもないが、現在の仙人のような生活からは我ながら想像もつかない遠い記憶だ。もうボクにはあの頃のような日々は還ってはこない。決して。それが悲しいとも残念だとも思わない。ただ懐かしい。自分の生きて来た足跡、それが切なく愛おしい。闇と光のコントラストが織り成す都会の魔法、今のボクにはその魔法にたゆたうだけの若さも力もない。それでいい。人とはそういうものだ。生きるとはそうしたものだ。ボクは健全に歳を重ねている。舞い散る枯れ葉のように、転げる路傍の小石のように、ボクはボクという等身大の自分に忠実に、愚直に誠実に生きていく。

プロフィール

平野克己(ひらの・かつみ)

MC誌の最前線を長うお准将に託し現在はフリーランスの予備役として活動中。湘南鎌倉で猫的スローライフを提唱しつつ、国産プラモデル史の編纂に尽力する日々を送る。永年飼ったコブラ427S/Cを手放しMC(Motorcycle…Modelcarsではありませぬ)復帰を密かに目論む。自称昭和プラモ小僧の60歳。座右の銘は心情溢るゝ軽薄さ。

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