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2010.1.22

いにしえの空冷F1の物語

 先日、モデル・カーズの打ち合わせで、F1写真家のジョー・ホンダ氏とお会いしました。

 その時、同氏の作品を拝見していたところ、目にとまった1枚の写真。1960年代の第1期ホンダF1の最終章を飾った空冷エンジンのマシーン、ホンダRA302が名手ジョン・サーティーズの操縦で走っている姿を捉えたカットです。

 RA302と言えば、1968年フランスGPでの悲劇がよく知られています。フランス人ドライバー、ジョー・シュレッサーの操縦で決勝に挑んだ同機は、序盤で事故を起こし、シュレッサーは炎の中、帰らぬ人となりました。そしてこの事故が、当時撤退を決めた直接的な理由となったとも言われていました。

 だからRA302と言えば、1968年フランスGPのシュレッサーという印象が強い故、当時ホンダのNo.1ドライバーだったサーティースの手で走行しているというシチュエーション自体が、極めて異例というか、意外な印象を俺に与えました。

 その印象をジョー・ホンダ氏に話しますと、同氏はおっしゃいました。これは1968年のモンツァです、と。

 フランスGPの事故後、秋のイタリアGP予選日に、ホンダ・チームはRA302を走らせたそうです。くだんの写真はその時のカットなのです。

 空冷プロジェクトに否定的だった中村監督とサーティースが、なぜ敢えてRA302を走らせたのか? その理由をジョー・ホンダ氏は語ってくださいました。

 この時、RA302は僅か2周ほどしかできなかったそうです。ジョー・ホンダ氏が捉えたカットでも、既に薄くオイルを吹いている様子が見て取れました。中村監督とサーティースがRA302を走らせた真意とは、このマシーンが如何にレースでの走行に耐えないレベルのものであるかを、現場から本社に伝えるためだった。

 サーティースに加えてNo.2のデビッド・ホッブスもこの時にRA302を操縦し、現場からの正式な報告として、空冷F1の実態を本社に伝えた。

 この現場の声が、フランスGPの前に聞き入れられる余地はなかったのか。

 血と汗を流して献身する現場。その声に耳を傾ける謙虚さが周囲にはなかったのか。

 しかしまた、RA302の開発を担当したチームにも、サーキット同様に「現場」はあったわけだ。彼らにしてみれば、例えそれが未熟児のごときマシーンであったとしても、グランプリの檜舞台に立たせてやりたかっただろうことは理解できる。

 企業のあり方、というものを考えさせられる昔話でした。

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